サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2018年12月 2日号
尾崎亜美 シンガー・ソングライター
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阿木燿子の艶もたけなわ/229

尾崎亜美さんは、「マイ・ピュア・レディ」をはじめとした自身のヒット曲ばかりでなく、杏里さんの「オリビアを聴きながら」など他の歌手への楽曲提供も数多くされています。いわば、アーティスト兼プロデューサーの草分け的存在です。そんな尾崎さんの知られざる幼少期の話をはじめ、摩訶不思議な"亜美ワールド"全開でお届けします。

◇興味がない授業だと「先生、サヨナラ」って教室を出ていっちゃったんです。

◇「ロック曽根崎心中」で九平次の安岡力也さんは亜美さんに恋してたんだと思うけど。

◇打ち上げの時に言われました。「俺、小さな女の子が好きなんだ」って(笑)。

阿木 あっ、今日も亜美さん、豚柄をお召しになってる。そのお洋服、凄(すご)く可愛いですね。日本製ですか?

尾崎 そうです。こんなふざけた服ばかりで。私、宇崎竜童さんをオヤピンって呼ばせて頂いているんですけど、オヤピンにも「亜美ちゃんはいつも豚柄だね」って言われてます。

阿木 亜美さんに「ロック曽根崎心中」のお初役をやって頂いたのは2005年。あれからずいぶん経(た)ちますね。

尾崎 10年以上、経ったなんて。それにしても吉田文吾(注1)さんが亡くなられ、桐竹紋寿(注2)さんも亡くなって。

阿木 本当に残念です。徳兵衛役とお初役のお二人がもういらっしゃらないなんて。お二人共、文楽人形の素晴らしい使い手でいらしたのに。そもそも「ロック~」は、まだ宇崎がダウン・タウン・ブギウギ・バンドをやっていた頃に、桐竹紋寿さん、吉田文吾さんから文楽と何か一緒にやりませんか、とお声を掛けて頂いたのがきっかけなんです。それで主人が選んだのが近松門左衛門の「曽根崎心中」。私はその時、構成と作詞を担当したんですけど、お人形さんがロックの音をバックに演じるという、かなり冒険的な作品になって。その時、お初の歌を歌ってくださったのが亜美さん。

尾崎 文楽の方々にすると、女性と仕事をすること自体が異例だったらしく、私、凄く緊張したんです。でも、「可愛らしい声の人だったら駄目でした」と言われて、ほっとしました(笑)。

阿木 亜美さんの声はハスキーで、凄く色っぽい。

尾崎 文楽の方々が、事前に私の声をお聞きになり「この声なら」と話し合われたとか。

阿木 最初、宇崎は亜美さんにオファーをさせて頂く時、もともとシンガー・ソングライターでいらっしゃるので、他人の作った曲を歌うかな、と心配してました。でも、当たって砕けろと。

尾崎 オヤピンとはテレビ番組のレギュラーを一緒にやらせてもらったりしていたので、「全然OKです」って引き受けさせて頂いたんです。

阿木 「ロック~」版では主役の徳兵衛を宇崎、お初が亜美さん、そして仇(かたき)役の九平次を安岡力也さん。残念ながら、力也さんも亡くなられて。

尾崎 だんだん生き残りゲームみたいになって(笑)。それにしても、力也さんの九平次、はまり役でしたね。

阿木 本当にそう。親友の金をくすねる悪党なんだけど、力也さんがやると、どこか憎めない感じになって。あの時、力也さんは亜美さんに恋してたんだと思うけど。

尾崎 打ち上げの時に言われました。「俺、小さな女の子が好きなんだ」って(笑)。だから「私、150センチです」って言ったら、凄く嬉(うれ)しそうな顔をなさって(笑)。

阿木 九平次役を力也さんは、とても気に入って、役作りをいろいろしてくださってたんだけど、ある時、とても真面目な顔をして「俺、思うんだけど、九平次はお初に惚(ほ)れていたから、徳兵衛の金を盗んだんじゃないかって。だから、そういうふうに九平次を演じたいんだ」って。でも、そう考える根っこのところに、亜美さんに対する憧れがあったんじゃないかなって。

尾崎 北里大学病院だと思うんですけど、ばったりお会いしたことがあるんです。とても広いロビーで「亜美ちゃーん」って。そこに居た人がみんな「何事?」って振り返るくらい大きな声で。それでワーッと駆け寄って来て、ハグしてくださって、みんな、驚いて見ていました。

阿木 その時の力也さんの姿、想像できます。半分イタリアーノだからジェスチャーが大きいんですよね。そういう時も日本の男性みたいに照れたりしない。

尾崎 あの笑顔を二度と見られないかと思うと、切ないですよね。もう一度、九平次とお初をやりたかったのに。

阿木 あの時、宇崎も言っていたんですけど「亜美さん、絶対、女優できるよね、何でやらないのかな」って。

尾崎 私、中学の時、演劇部だったんです。東北弁を話す馬の役とか。

阿木 また不思議な役を(笑)。

尾崎 世界一の美女を妬んで殺すという役も(笑)。

阿木 中学の演劇部にしては、かなり進んでいる(笑)。

尾崎 ただみんな、演技力がないので、何をやっているのか分からなくて、観客との距離がどんどん離れていく感じでした(笑)。

阿木 亜美さんは子供の頃、夢見がちな少女だったんでしょう? 砂場の砂をずっと掘ってゆくと、地球の裏側に行けるって信じていたとか。それは私も同じで、夕暮れ時にスコップで一人、黙々と掘っていたことがあります(笑)。

尾崎 阿木さんもやっぱり。よかった、同類の人が居て。"砂場の会"を作りましょうか?(笑)。私、小学校の低学年の時、前を向いてみんなで座っている意味が分からなくて。だから興味がない授業だと「先生、サヨナラ」って教室を出ていっちゃったんです。

阿木 ほとんど「窓ぎわのトットちゃん」!

尾崎 本当にそう。だから先生から「お嬢さんみたいなお子さんが通う学校に行かれた方が、本人のためになるのでは」とか、両親は言われたみたいで。

阿木 じゃ、特別支援学校に転校しそうになった?

尾崎 先生にしてみれば、手を焼いていたんでしょうね。それに私、結構嘘(うそ)つきで。もう本当にいっぱい、嘘をついてましたね。

阿木 嘘といえば宇崎も子供の頃、"嘘つき修司"と呼ばれていたみたいで(笑)。

尾崎 さすがオヤピン。例えばどんな嘘を?

阿木 「僕、舞妓(まいこ)さんと付き合ってるんだ」なんておませな嘘(笑)。
尾崎 それ、聞いたことがある。小学生でしたっけ?

阿木 そうみたいです。友達が「凄いなー」って信じてくれたらしいんだけど、高校生になって、「あれ、どうなった?」と尋ねられて、白々しくも「ああ、もう別れた」と言ったとか(笑)。

尾崎 そうなんですよね、信じてくれると、かえって辛(つら)い(笑)。私の場合は1メートルの蟻(あり)というのがあって。小学生の時なんですけど、秋の新学期に、みんなで夏休み中、どこへ連れていってもらったか、という話になって「私、ハワイ」と言う子が居たり。そんな中、「みいちゃんは?」って聞かれたんです。それでつい「船岡山(注3)」って近くの山の名前を出して。そしたらみんなが「そんなのいつでも行けるやん」って。それでつい口が滑って「船岡山の裏のところで、1メートルの蟻を見つけたんやで」と言ったら、その時点でみんなの興味がハワイを超えたんです。「ええ、みいちゃん、ほんまに?」って。

阿木 その純粋さが、可愛い!

うさぎとマツコの人生相談
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