牧太郎の青い空白い雲/941
薩摩藩(今の鹿児島県)には、「郷中(ごじゅう)教育」と呼ばれる独特の教育システムがあった。地域ごとに、青少年を「小稚児(こちご)」(6~10歳)、「長稚児(おせちご)」(11~15歳)、「二才(にせ)」(15~25歳)「長老(おせんし)」(妻帯者)の四つに分け、年長組が年少組を指導する。
朝から年長者の家に集まり、勉強したり遊んだり。ただ「詮議掛け」と言われるグループディスカッションは必須科目だった。先輩(「二才頭(がしら)」と言うらしい)が「親の敵と主君の敵と同時に出合ったら、どちらから討つべきか?」といった課題を出す。「主君が大事だから、まずは主君の仇(かたき)を討つ」と答える子どもがいれば、「私は親の仇を最初に!」と主張する子どももいる。各々(おのおの)、その理由を説明するが、なかなか結論が出ない。ここでは「やり取り」が教育なのだ(「行き当たり次第に討つ」が模範解答らしい)。また、「自宅が燃えているとき藩の蔵書倉も火に包まれている、どうするか?」。公か? 私か? これも確かに難しい。「郷中教育」には教科書がない。
この「郷中教育」は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、留守となった武家を守るために作られた「集団自治教育」。衆議を尽くして、より高い道理にたどり着く。薩摩藩の子どもたちはこの作業を通じて成長した。江戸時代末期には、「一つの町内で明治維新をやったようなもの」と言われた「下加治屋郷中」からは西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの逸材が次々に誕生している。
約150年前の幕末・維新の昔と比べれば、今の日本は何から何までグローバル化して、コトが起こると右往左往。実はこの春、一番のショックだったのは、天才・大谷翔平と「相棒」水原一平通訳を襲った「違法賭博」騒動である。
ギャンブル中毒の一平さんが〝借金まみれ〟になり、その結果、大谷の銀行口座から「少なくとも450万㌦(約6億8000万円)が違法賭博業者に送金された」という報道。その450万㌦は大谷が「肩代わりしてやるからギャンブルはやめろ!」と言って送金したのか、それとも「水原が勝手に大谷の金を盗み、使い込んだ」のか。「もし、大谷が肩代わりしたら同罪!」という説もあるらしいが......。「肩代わり」はいけないことか? 長いこと「女房のような存在」だった一平さんのピンチに大谷が「協力」するのは当然ではないか?
大谷は3月25日(日本時間26日)に全面否定の声明を発表したが、真相解明を期待したい。
この騒動、郷中教育の「詮議掛け」に相応(ふさわ)しいテーマではないか。騒動に関係する者は「公(野球機構・法律)」を大事にするのか、「私(選手・職員・情け)」を大事にするのか、悩んでいる。
「自宅が燃えているとき、藩の蔵書倉も火に包まれている、どうするか?」との課題によく似ているではないか。