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2023年1月 1日号
芸能 吉本の大﨑洋会長が語る! 「劇場をもっと増やしたい」
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 日本最古の芸能プロダクション「吉本興業」が2022年、創業110周年を迎えお笑い界で不動の地位を築いた。しかし、吉本にはこれまで、あらゆるトラブルを乗り越えてきた泣き笑いの歴史がある。

「在京の芸能プロから東京進出を歓迎されなかったり、創業家と元経営陣とのお家騒動。人気芸人を多数抱えるがゆえのスキャンダル処理。世間を騒がせた闇営業問題など紆余(うよ)曲折を経て今がある」(お笑いライター)

 吉本の大﨑洋会長(69)は1978年に吉本興業に入社、2年後の80年には東京進出のために上京した。

 大﨑氏が振り返る。

「元々、お笑いに興味があったわけではないんです。吉本に入社したのは、なんとなくだった。吉本が東京に連絡事務所を作ったのが1980年。当時、ペーペーだった僕と上司の木村(政雄)さんの二人でレンタカーに布団や鍋、ヤカンなどを積んで東京まで来た。上からは『あくまで連絡事務所だから何もするな』ときつく言われました。それでも、最初の頃は東京の芸能界の人たちから顔がくっつくくらいの距離で〝早く大阪に帰れ〟と凄(すご)まれたこともありました。踏ん張れたのは芸人さんたちの頑張り、そして当時の林裕章社長のおおらかな人徳のおかげです」

 吉本の東京進出直後にツービート、B&B、ザ・ぼんちらの漫才ブームが起こった。大﨑氏はその後、吉本が新設したNSC(吉本総合芸能学院)に配属されダウンタウンの初代マネジャーを務めることになった。

「ダウンタウンはブームが去った後でしたから、きつかったと思いますよ。その頃から吉本には『デジタル・地方・アジア』という漠然とした未来像みたいなワードがありました。それが形になったのが、沖縄国際映画祭や地方の住みます芸人、BSよしもと、ラフ&ピース マザーといった事業。どれも吉本の芸人さんが活躍できる場所作りのために始めた。それが吉本という会社の仕事です。同時に、吉本の社員が経験を積む場にもしたかった。今のイベントはほとんど僕が言い出しっぺですが、これからは岡本(昭彦)社長以下、若い社員がどんどん新しいことを始めてほしい」

 吉本は、芸人たちの主戦場になる劇場作りも強化している。

「劇場はテレビからお声が掛からない若い子、お声が掛からなくなった年寄りの芸人さんらが頑張れる場所やからね。それに雇用、経済効果などと難しいことを言うわけじゃないけど、劇場ができれば舞台の裏方さんや衣装・メークさん、作家さん、チケット販売からから配信までたくさんの人が働ける。劇場周りの食べ物屋、お土産屋が増えるかもわからへん。コロナの時期は大変やったけど、ケガの功名で配信も拡大した。劇場はどこかに頼らなくても僕らが頑張ってチケットを売れば、自力でやっていける場所。もっと増やしたほうが楽しいかなと思ってます。家賃をタダで貸してくれるところがあればホイホイ出かけるんですけどね」

 2025年には大阪・関西万博も開催される。吉本の躍進に注目だ。

(本多圭)

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