サンデー毎日

政治・社会
イチオシ
2020年1月 5日号
2020年新・健康読本 耳を澄ませば寝たきりの心配無用
loading...

<1冊丸ごと心と体の爽健トリセツ 2020年新・健康読本>

作家、下重暁子さんは太平洋戦争中、小学校に通えず、寝たきりの2年間を過ごした。結核の診断を受けたからだ。そして、敗戦。不思議なことに病気は治癒した。それから「二度と寝たきりの生活は嫌だ」と決意。心と体に耳を澄ますことにしたのは、そのためだ。

健康な人はほんとうの健康を知らない。病んだことのある人は、健康を知っている。健康とは、失って初めて気が付くものだからだ。

私は多分健康を知っている。というのは、小学校の2年と3年を、結核で家に隔離されていたからだ。

学校で行ったツベルクリン反応は大きく赤くはれ上がった。微熱もあった。医者から初期の肺結核である肺門リンパ腺炎と診断された。初期なので療養所行きは避けられたが、後にその話を知人の医者に話すと、「それは立派な肺結核ですよ。初期かどうか?」と、疑問を投げかけられた。

その頃、結核は下手をすると死病であり、前夫を肺結核で失っている母は、再びわが子を襲った病にショックを受けたらしい。

まだストレプトマイシンなどの特効薬が発明される前で、栄養を取って空気のいいところで安静にしているしか方法がなかった。

ちょうど太平洋戦争の最中で、都会では疎開が始まり、軍人だった父の転勤先は大阪の八尾にある陸軍の大正飛行場(現・八尾空港)だった。その近くの将校住宅に住んでいた私は、病気で学童疎開は無理なので縁故をたどって縁故疎開していた。

父の知人である実業家の紹介で、奈良県の信貴山(しぎさん)縁起(えんぎ)絵巻で名高い信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の沿道にある三楽荘(現・信貴山観光ホテル)の離れに疎開することになった。そこの8畳間を与えられ、ベッド代わりに家にあったピンポン台の上に布団を敷いて、そこが私の居場所だった。

道を挟んで向かいに陸軍病院として借り上げられた柿本家という老舗旅館から、軍医が1日おきに診察に来た。父が軍人だったせいだろう。

私は、朝、昼、3時、夜の4回熱を測り、熱のグラフを軍医に見せる。看護係の軍曹がきつく左手を縛り上げ、静脈を浮かせ「ヤトコニン」という名の注射をする。効いたのか効かないのか、それが日課で、私の左手の静脈はおかげで固くなり、今でも血管に針が入らない。

うさぎとマツコの人生相談
週刊エコノミストOnline
Newsがわかる
政治・社会
くらし・健康
国際
スポーツ・芸能
対談
コラム