「桜を見る会」問題とは、特権階級による税金の私物化であり、格差拡大社会の象徴である―こう喝破するジャーナリスト・斎藤貴男氏らが、安倍首相を刑事告発した。斎藤氏の怒りの芯にあるものは何か?国民を愚弄し、社会を卑しくさせる政権に、根源の「否」を突きつける檄文。
もう嫌だ。いいかげんにしろ。日本の社会を、人間を、これ以上卑しく、浅ましくさせるのは止(や)めてくれ。今度という今度は、堪忍袋の緒が切れた......って、これまでも我慢していたわけではないのだが。敢(あ)えてまとめると、こういう気持ちだということになる。
11月20日、私は市民50人でつくる「税金私物化を許さない市民の会」の一人として、安倍晋三首相を東京地検特捜部に刑事告発した。この日に在職日数が2887日となり、桂太郎を抜いて憲政史上最長の首相となった彼の、国の公式行事「桜を見る会」に関わる一連の行動が、公職選挙法および政治資金規正法に違反している疑いだ。共同代表の武内暁(さとる)(71)、ジャーナリスト・浅野健一(71)、講談師・神田香織(65)の三氏とともに、司法記者クラブでの記者会見にも臨んだ。
物書きなら言論だけで勝負すべきだ、と多くの人が言う。私自身も、できればそうありたい。なのになぜ、このような行動に出たのか。
この国の社会階層をくっきりと分断させたのは、小泉純一郎政権の構造改革路線に他ならない。格差をさらに押し広げ、人間には生まれながらに身分の差があるがごとき社会通念さえ定着させたのが安倍政権だ。
小泉時代とはやや異なる、構造改革と古い土建屋政治をミックスさせたと言えばもっともらしいが、早い話があからさまな〝お友だち〟びいきの縁故主義(ネポティズム)。出世と蓄財が命の人々は、争うようにして政権に近づき、へつらい、取り入るようになっていった。
民主主義社会を維持するには欠かせない、たとえば平和とか人権、平等、公平、公正といった大切な価値観(最低限の建前、たしなみと言ってもよい)の共有が、かくて著しく困難になった。政権との近さを誇る人々、近くなくても彼らに同調したほうが〝おトク〟だと計算したがる人々は、そうでない者を見下し、せせら笑い、罵倒するのが日常の行動原理になった。
安倍政権の閣僚や、陣笠(じんがさ)にまで至る自民党の国会議員、地方議員たち。あるいは各種審議会の委員を務める大学教授やベンチャービジネス経営者らの傲岸不遜ぶりが、まさに典型だ。彼らは仲間内で、下々の生活や生命をどれほど軽んじることができるかのチキンレースを競っているとしか思えない。