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2019年8月11日号
評伝・ジャニー喜多川 二つの祖国――"完成"を拒み続けた異能
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日本のエンターテインメントを塗り替え、世界にその名を轟かせながら、素顔を知る人は少ない。7月9日に亡くなったジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)。タレント候補生として、評論家としてジャニー氏の知遇を得た研究者が、その人生を照射する。

華麗なフライングに、ラスベガスばりのイリュージョン。激しい殺陣あり、アクロバットあり、タップダンスあり。流れるようなショー場面の構成とスピーディーな舞台転換。最新のデジタル演出やさまざまな大仕掛けも駆使し、息つく暇 もないほどに観客を楽しませ、驚かせる―。

ジャニー喜多川氏といえば「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」をはじめとする三つの世界ギネス記録を持ち、長きにわたって男性アイドルのスターを生み出し続けた天才プロデューサーとして有名だが、一方でミュージカルやレビューショーの演出家としても、日本で最も多くの楽しい"引き出し"を持った方ではなかったか。

私は、ジャニー氏が作・構成・演出を手掛けた、1997年の「Kyo to Kyo」(京都・シアター1200)と2000年の「MILLENNIUM SHOCK(ミレニアム・ショック)」(東京・帝国劇場)という2本の舞台を観て、ある新聞の連載コラムに、そう書いた。すると、そのコラムが黒澤明監督作品でお馴染(なじ)みの名優、故・志村喬(たかし)の夫人の目に留まったらしい。夫人は記事を切り抜いて「私が言いたいことをこの人が全部書いてくれているから読んで!」と、ジャニー氏に届けてくださったという。少しして「SHOCK」再演に際し、招待の連絡があった。

開演前に楽屋に案内されると、のれんをかき分けてジャージー姿のジャニー氏が現れた。

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