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2019年4月 7日号
独占激白!安倍官邸の天敵 東京新聞記者・望月衣塑子 私が政権と闘い続ける理由
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倉重篤郎のニュース最前線

◇メディア分断統治の罠にはまるな

菅義偉官房長官の記者会見の際、執拗な質問によって権力を質してきた東京新聞の望月衣塑子記者に対し、官邸は異例とも言える取材制限を講じてきた。権力と向き合うメディアの存在意義を揺るがす重大な局面で、望月氏が安倍政権との闘いに期する存念を語り尽くした。倉重篤郎が本気で迫る。

安倍晋三首相の「4選」論が出始めた。
1強人事権に阿(おもね)る権力亡者のなせる業だが、自民党内からパンチの効いた反論、異論が出てこないのも気になる。この党はどこまで腑抜(ふぬ)けになったのか。
自民党だけを責めるわけにもいかない。野党の体たらくもあろう。自らの足元も見てみよう。時の政権を監視する権力ウオッチャーとしての我々メディアのパワー減退はないのか。
そんなことを思わせる一件があった。
首相官邸記者クラブで起きた、東京新聞・望月衣塑子(いそこ)記者への「質問制限」問題である。望月記者は事件を中心に取材してきた社会部記者である。森友・加計(かけ)問題や伊藤詩織さん事件(注)で直接政府の見解を質(ただ)したい、として政治部記者中心の官邸記者クラブに乗り込み、菅義偉官房長官相手に一人手を挙げ続け、納得いくまで何度も執拗(しつよう)に質問した。その始まりが2017年6月6日だった。
その質問スタイルが同クラブの「紳士的な」雰囲気にそぐわなかったのだろう。クラブの一部加盟社からは、「質問が長い」「意見、パフォーマンスが多い」「相手(菅長官)を怒らすだけでニュースが出ない」など不満が漏れた。
そんなクラブ内での不和を見越したのかもしれない。官邸からは明らかに望月記者をターゲットにした以下三つの沙汰があった。
〈その1〉望月記者が所属する東京新聞編集局長宛てに長谷川榮一内閣広報官名で「事実に基づかない質問は厳に慎んでほしい」と文書申し入れが9回来た。
〈その2〉内閣記者会宛てに18年12月28日付報道室長名の文書が張り出された。中身は、望月記者の2日前の辺野古新基地建設問題に関する質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」と断定し、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「総理大臣官邸・内閣広報室として深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく次第です」。
〈その3〉17年秋以降、望月記者の質問中に報道室長が、「質問に移ってください」「簡潔にお願いします」と遮る質問妨害行為が行われるようになった。19年1月24日の会見では1分半の質疑中7回も遮られた。

◇望月記者を孤立させようとする安倍政権

いずれも異例、異常な沙汰である。私も政治記者として1980年代後半の中曽根康弘政権から2001~06年の小泉純一郎政権ごろまで官邸記者クラブを主戦場としてきたが、その頃の政権vs.記者の力関係からすると政権側の「あり得ない」行き過ぎた干渉の数々である。

新聞社の編集局長は編集責任者であると同時に人事権者である。人事権者宛ての政権からの抗議文書は、その記者を飛ばせ、というのに等しい。そもそも質問の中に本当に事実誤認があったのか。東京新聞がこの問題について検証と見解をまとめた紙面(2月20日付)によると、9件の質問内容をチェックしたところ確かに一部に誤りがあったが、多くは受け入れがたい、としている。特に、二つ目の文書張り出しのきっかけになった辺野古新基地問題に関する質問への「事実誤認」指摘に対しては、「事実に基づかない質問ではなかった」と全面的に反論している。
この政権側の「事実に基づかない」ことを理由にした質問規制は、その論理立て自体に無理がある。事実が不確定、ないし曖昧だから記者は聞くのである。質問の前提に誤りがあれば、質問を受けた段階で、あるいはその次の会見の場で、政権側がそれを正せばいい。記者の質問のバックには国民がいる。たとえ少数派であろうと、その疑問に対し丁寧に過不足なく答えるのが政権のスポークスマンの役割である。権力を握り続ける者の務めである。
質問遮り問題は、漫画チックでさえある。さすがにこれに対しては、記者クラブ内だけでなく政権内部からも批判があると聞く。裏で働きかけたり、権力をかさに着たり、陰湿である。
ここまででも十分異常事態である。ただ、今回の取材制限問題の本質は、実はこの文書張り出しにある、というのが私の見解だ。望月記者の質問を事実上排除することについて官邸記者クラブ所属各社に「問題意識の共有」を求めている点だ。官邸側も、望月記者に対し記者団の中に先述のような批判があることを十分承知の上である。望月記者を包囲、孤立化させようとするメディアへの分断統治の狙いが透けて見える。
さすがに記者クラブ側もこの文書に対しては、質問制限は受け入れられない、と各紙宛て配布を拒否し、結果的に官邸記者クラブ内掲示板に「張り出し」という形になったというが、これを許したのもいかがなものか。この分断統治こそ第2次安倍政権の対メディア戦略の本質だからである。
第2次安倍政権の第1次政権との最大の違いがこのメディア戦略にある。第1次政権の不名誉な退陣は安倍氏本人の病気もあったが、年金記録問題、相次ぐ閣僚スキャンダルでのメディア攻勢に敗れた面もある、との反省があった。第2次政権では、これを教訓にメディア戦略を重視、まずは電波に対する許認可権をバックにテレビ業界の手綱を締め上げた(14年衆院選での萩生田光一・自民党筆頭副幹事長名での在京キー局に対する「選挙報道での公平中立」名目の圧力文書、16年2月の高市早苗総務相の「電波停止」発言、岸井成格(しげただ)、古舘(ふるたち)伊知郎、国谷裕子(ひろこ)3キャスターの相次ぐ降板)。
今回の取材制限は、その延長線上にある対新聞版と言ってもいい。新聞界が今ほど時の政権に対する評価で真っ二つに割れたことはない。つまり、安倍否定派の朝日、毎日、東京新聞と、肯定的な読売、産経新聞だ。その溝に手を突っ込んだ分断統治第二弾に見える。
そう考えると、問題意識の共有は官邸とではなく、むしろ記者クラブ内で行われるべきではないのか。このままでは質問制限という既成事実だけ残ることになるが、それでいいのか。

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