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2018年9月 9日号
「日本国の正体」東京五輪のために「サマータイム導入」の愚
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五輪には開催国や都市の内面が表れるようだ。1964年、前回の東京五輪では「根性」を前面に出した選手たちが活躍。高度成長下で懸命に働く日本人の姿と重なった。あれから54年。汚職や企業の不正が相次ぐ中での五輪前夜。その準備はトラブルが続く。

東京五輪組織委員会が「酷暑」問題で追い詰められて、迷走している。
開催は2020年の7月24日から8月9日までの17日間。今年の同時期の東京の暑さは尋常なものではなかった。23区内の熱中症による死者数は115人に達した。この時期に炎天下で運動競技を行うことがアスリートの健康によいはずがないことは誰にもわかる。
最も心配されるのがマラソンで、朝7時スタートを予定していたが、今年はその時間ですでに30度を超す日があった。
五輪期間中の暑さ対策としてこれまで提案されたのは「打ち水、浴衣、よしずの活用」とか「首に濡(ぬ)れタオル」とか、マラソンのコース沿いの店舗やビルの1階部分を開放して、中の冷気を道路に放出するという「クールシェア」とか、どう考えても本気とは思えないものばかりである。
進退窮まった組織委員会が提案してきたのが2年間限定の夏時間の導入である。
一競技のために、日本中の人間を巻き込むようなシステムの変換を行うというのはいくら何でも本末転倒であると思うが、驚くべきことに、発表直後のNHKの世論調査では、夏時間の導入に「賛成」が51%、「反対」が12%と、世論は賛成が多数となった。
おそらく、賛成者のほとんどは夏時間の導入というのが、ただ時計を2時間進めるだけのことだと思い、その程度の手間でアスリートたちが気分よく競技してくれるなら、お安いものだと思ったのだろう。心根のやさしい人たちである。だが、夏時間の導入というのは、そんな気楽な話ではない。
 ◇  ◇  ◇
夏時間の導入は不可能と断定している立命館大学の上原哲太郎教授によると、「政府や自治体、医療、交通運輸、金融のシステムから、家庭のテレビやエアコンまで、『時間』を基準に動作しているシステム」に私たちの生活は律されており、重要なインフラの修正だけでも4、5年は必要だと言う。
当然、システム変換を請け負うIT企業の労働者には大量のタスクが集中的に課されることになる。人件費コストも桁外れのものになろうが、そもそもそれだけの人的リソースが調達できるかどうか。

◇「2000年問題」の再来必至

アメリカもヨーロッパでも、夏時間は実施されているが、そのような社会的混乱については聞いたことがないと言う人もいるだろう。でも、それは当然で、欧米では早くから夏時間制が導入されている(導入はドイツが世界で一番早くて1916年)。だから、それ以後に作られたものは家電製品もIT機器も夏時間切り替えを標準仕様にして製造されている。

だが、日本製の機械はそんな仕様になっていない。だから、重要なインフラのことは脇に置いて、電波時計、テレビ、カーナビなど「時間」を基準に作動するすべてのメカニズムは夏時間への切り替え時点で不具合を生じるリスクがある。
かつての「2000年問題」と同じで、蓋(ふた)を開けてみたら、何も起こらないかもしれない。でも「何も起こらないかもしれない」を含めて「何が起こるかわからない」のである。夏時間で作動に影響が出る「かもしれない」機器の製造企業のコールセンターやサービスカウンターには消費者からの「どうしたらいいんですか?」という問い合わせと、「うまく作動しません」という調整修理の依頼が殺到するだろう。
夏時間さえなければ決して生じることのないこのコストは結果的にそれらの機器のメーカーが製造する商品の価格に上乗せされて、消費者が負担することになる。
「夏時間、いいんじゃないの」と気楽に世論調査に回答された市民たちは、こういったリスクやコストについてはたぶん何も考えずに「賛成」に一票を投じたのだと思う。だから、今からでも遅くはない。止(や)めた方がいい。
さいわい、まだ実施が決定したわけではない。五輪の一競技のために莫大(ばくだい)な損害を発生させるべきではない。マラソンであれ何であれ、炎熱の時間帯を避けて、できるだけ涼しい時間帯に競技ができるようにプログラムを組めば、それで済むことである。
アメリカのテレビの放送時間が......というようなことを言う人がいるが、アメリカのテレビ視聴者ができるだけ気楽にカウチでテレビを見られるように日本社会全体は夏時間コストを負担すべきだし、五輪に参加するアスリート人は身体的苦痛を甘受すべきだと本気で考えているのだとしたら、それは底の抜けた博愛主義でなければ、骨の髄まで奴隷根性がしみこんでしまった属国民マインドのなせるわざだろう。

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