サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2021年4月 4日号
少数意見とは思うが「刺青」は反権力者のファッションだ!
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牧太郎の青い空白い雲/809

 東京は浅草柳橋の「代地」で育った。

「代地」とは火除地(ひよけち)を造るため、大名屋敷、寺社、町家を問わず、町全体が丸ごと移動した場所。代替地のことである。

 1657(明暦3)年旧暦の1月18日の「明暦の大火」(振り袖火事)で江戸は大半を焼失。焼け落ちた「年貢米を保管する浅草御蔵」を拡張するため、幕府は隣の町家を隅田川沿いに移動させた。400年ぐらい前の話だ。

 先人は〝新しい商い〟をアレコレ考えたが、結局「グルメとアートと(ちょっぴり)セックス」の花柳界を選んだ。どの時代も、比較的簡単にスタートできるのは「風俗産業」なのだろう。

 実家は「深川亭」という料亭。祖父の「牧文次郎」は料亭を続けながら東京・日本橋「洋書の丸屋善七店(通称・丸善)」の番頭。独立して「東京深川屋」発行の『新撰皇國道中明鑑』(鉄道馬車事情を紹介した本)などを出版した。

「柳橋代地」は料亭、芸者屋、待合だけでなく、当時の知識人が住みつく「文士の街」にもなった。(ちなみに毎日新聞社の前身・東京日日新聞の発祥の地は「柳橋代地」である)

 明治20年から30年代、隅田川沿いは亀清楼、柳光亭、柳水など老舗の料亭が並んでいたが「商売違い」が一軒だけ。銭湯「松の湯」である。

 最初の総理大臣・伊藤博文が贔屓(ひいき)にした「松の湯」男湯の客は10人に1人は〝刺青(いれずみ)〟を彫っていた。

「町内の頭」と呼ばれる鳶(とび)職、威勢のいい八百屋、料理人、箱屋(芸者のマネジャー?)......みんな頭は角刈りで刺青を入れていた。長湯すると、刺青が真っ赤になる。それが綺麗(きれい)だった。

 だから、世間様が「暴力団追放=刺青禁止」と考えているのは正直言って承服できない。「あたりまえよ、べらぼうめ」の江戸ことばと同じような、刺青は一種の反権力者の「ファッション」なのだ。

 昨年の大晦日(おおみそか)。ボクシングのWBO世界スーパーフライ級タイトル戦で、王者・井岡一翔が左腕の刺青を露出した状態で戦い、話題になった。最近になって、ある雑誌で「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者は試合に出場することができない」という理由で、彼は厳重注意処分を受けた、と知った。

 冗談じゃない。言論が自由なら「風体」も自由だ!

 刺青には「愛する対象」「憧れの対象」と自分を同一化するだけのことじゃないか?

 コロナ騒動で「あれもダメ!」「これもダメ!」の窮屈なご時世だから、あえて言う。

 刺青は自由だ!

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