サンデー毎日

コラム
それってどうよ
2021年2月28日号
学生の頃に戻って、もう一度食べたい!=池野佐知子
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OL400人は考える・それってどうよ!?/684

 卒業シーズン、高校3年生の親が「学生生活最後のお弁当」を作り、その中に手紙を入れることが静かなブームのようです。学生時代のお弁当については、OLさんたちもさまざまな思い出が――。

   ◇   ◇   ◇

「母と激しく喧嘩(けんか)をした翌日のお弁当は昔の日の丸弁当でした。曲げわっぱのお弁当箱に敷き詰められた真っ白なご飯の真ん中に梅干しだけ。友達に爆笑されて、母を生涯許さん! と思いました(笑)」(コンピューター・24歳)

「中1で同じクラスだったコが、お弁当を食べ終わると必ずポストイットに『いつも美味(おい)しいお弁当を作ってくれてありがとう♡』と書いて空のお弁当箱に入れていました。帰宅して母にそのことを話し、『ママもそうしてほしい?』と聞いたら『ほんとの気持ちじゃないなら、いらない』と言われました」(テレビ局・26歳)

「うちの母は低血圧とやらで朝起きるのが無理らしく、結果、夜作って冷蔵庫に入れてくれていました。それを毎朝持っていくのですが、正直、あんまり美味しくなかったです。でも、今思えば、作るのが夜だって、ありがたいことです」(飲料水・29歳)

「お弁当箱を開けたら、具なしの焼きそばだけが入っていたことがありました。美味しいけれど、でも、まっ茶! 母は『おかず考えるのが面倒で、ごめん』と言っていましたけれど」(通信・26歳)

「中高とバスケットに熱中。朝練から授業明けの練習まで、とにかくお腹(なか)が空いていました。ゆえに母親は早弁用と普通のお弁当と毎日二つ持たせてくれて、しかも、内容が違う! ありがたかったナ」(人材派遣・27歳)

「中学校は自宅から2分。年に2度程度、熱々のカレーを入れて持ってきてくれました。カレーのにおいにそそられたクラスメート多数。当時の友達はいまだにそのことを話題にします」(教育・25歳)

「隣の席の男子が白ごはんとイナゴの佃煮(つくだに)というイケてるお弁当を持ってきて、私は生まれて初めてイナゴを見ました(死んでるけど)。『何、それ』と言った男子を箸でつまんだイナゴを持って、その子が追いかけたことも。ひと騒動でした」(商社・27歳)

「小学校はアメリカのサンフランシスコだったのですが、クラスの3分の1のランチボックスがグミやクラッカーやクッキー。残りほとんどがサンドイッチで、私のお弁当は憧れの的でした(と言っても、日本ではふつうの感じのもの)。それを聞いた母が、より張り切って、『日本人のお弁当はアメイジング!』と言われてました」(商社・25歳)

「我が家は離婚組。父が中学高校と毎日お弁当を作ってくれました。高校になって『自分で作るよ』と言ったのですが『いや、弁当は作りたい』と父。茶色の揚げ物に卵焼きの黄色とミニトマトの赤が映えてました。お弁当最後の日に空のお弁当箱を洗って、父へのありがとうメッセージを入れたら、(父)号泣。いつも美味しかったよ、パパ」(人材派遣・24歳)

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 お弁当には、いつだって〝愛〟が溢(あふ)れていますね。

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