サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2019年10月 6日号
あの黒幕「許永中」の自叙伝が示唆する「和解の糸口」
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牧太郎の青い空白い雲/736

夜中、4時間かけて400ページほどの分厚い『海峡に立つ~泥と血の我が半生~許永中』(小学館)を読み終えた。

30年ほど前のバブル期、政界、経済界、任侠(にんきょう)界を闊歩(かっぽ)した「闇社会の帝王」許永中氏の自叙伝である。

あの頃、僕は"事件記者の端くれ"だった。戦後最大の黒幕が関係したとされる「石橋産業事件」「イトマン事件」などを次々に取材していた。

事件は謎に包まれていた。「これが真相!」と自信を持って書けない。まさに「闇」だった。

事件記者という人種は何年たっても「あの騒動の真相」が知りたくなる。しつこい人種だ。

   ×  ×  ×

それに許永中氏には「個人的な興味」もあった。親しかった「週刊××」の敏腕記者Y氏が突然、退社。当時、許永中氏が経営権を握ったと言われた「大阪××新聞社」のトップになった。

普段「週刊誌は俺の天職!」と誇らしげに話していたY氏がなぜ、記者を辞め許永中氏の子分?になったのか。

実は、Y氏は直後、ゴルフの最中、突然死。「真意」を尋ねることはできなかった。

それに......何度か、彼と一緒に飲みに行った東京・赤坂の小さなスナックのママが店を閉じ「赤坂××ホテル」の1階で、洒落(しゃれ)た花屋を開いた。噂(うわさ)では許永中氏の応援!と評判だった。何か、特別の関係だったのか?そんな下世話な興味もあった。

   ×  ×  ×

許永中氏は大阪市大淀区(現・北区)中津の在日韓国人地区の貧しい家庭に生まれている。頭は良い。度胸も良い。でも「不良」だった。大阪工業大学の柔道部で「喧嘩(けんか)」をおぼえ、麻雀とパチンコに熱中。3年で中退した。要するにチンピラだった。このあたりの話は任侠映画を見るようだ。

大学中退後、不動産広告業者の秘書兼運転手。見よう見まねで「経営」を学んだ。ヤクザの大物と出会い、縁あって「大谷貴義(たかよし)」という政界のフィクサーの書生をやったりしているうちに「闇の世界の住人」になってしまう。

この自叙伝は(愛人の名前などは明らかにしていないが)「事件の関係者」は全て実名。知らなかったことがいくつもあった。例えば「文学好き」と評判の財閥の御曹司が「銀行のオーナーになろう!」と許永中氏の力を借りたという。意外だった(本では実名)。

興味がある事件には全て言及していた。親しい政治家(例えば福田赳夫元首相など)、芸能人(例えば高倉健)との付き合いも書いている。実に面白かった。

でも、僕が個人的に興味があったことには触れていない。

「洗いざらい書いている」ように見せて、多分「墓場まで持っていくこと」も多いだろう。そんな印象だった。

   ×  ×  ×

それより、勉強になったのは許永中氏のような在日の人の苦労である。許永中氏の青春時代、特定の地域で、日本人は在日の人々を差別した。

「日本人が」というより、日本という国が韓国という国を蔑視した?韓国は中国、日本、ロシアと比べ、「地政学的」に弱い立場にある。中国の侵略を受け、属国化された時期もある。それでも、朝鮮半島は「王による支配」だった。李氏朝鮮の高宗は「朝鮮は中国の属邦であるが、内政外交は自主である」と米国・ドイツ・イギリスに伝えている。

ところが、日本だけは韓国の「主権」を奪った。1910(明治43)年8月29日「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合して支配下に置いた。第二次大戦の終戦まで「併合」という名前の支配は約35年、続いた。

この歴史的な「流れ」の中で、一部の日本人は(終戦後も無意識に)韓国人を差別したのではあるまいか?そんな気がしてならない。最悪の日韓関係には「日本の過去の仕打ち」に対する怨念(おんねん)のようなものが残っている。

「事件もの」と思って読んだ「許永中氏の自叙伝」は「日韓」和解の糸口を探すヒントになるような気がするのだが。

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