サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2019年6月30日号
「引きこもり息子」を殺した"上流国民"の家庭道徳観?
loading...

牧太郎の青い空白い雲/723

「上流国民」という言葉は嫌らしくて好きになれなかった。特定の人たちが妙に皮肉っぽく使う「ネットスラング」の類い。無視していたのだが、4月19日の悲惨な交通事故が「上流国民」という言葉に市民権を与えてしまった。
この日の正午過ぎ、東京・池袋で、87歳の高齢ドライバーが運転する乗用車が暴走。2人の母子が死亡。多くの怪我(けが)人も出した。大惨事だった。しかし、運転手はなぜか逮捕されなかった。
ネットが詮索を始めた。「運転手が元高級官僚(旧通産省工業技術院長)という上級国民だったから逮捕されないのだ!」という指摘が相次いだ。
上流国民なら罪にならない?まさか......法は万人に平等だ。そんなことは断じて許されない。
多分、本人が骨折して、精神的ダメージも大きく、留置場に入れてしまうと「予期せぬ事故」が起こるかもしれない!と警察は判断したのだろう。回復を待って逮捕されるものと思っていたが......退院後も「在宅捜査」だった。
やはり「上流国民」なるものは特別待遇を受けるのか?
そういえば、例の森友事件で「公文書改ざん」を疑われた財務官僚は無罪放免になった。やっぱり「上流国民」、特に「高級官僚」は特別扱いなのか?
   ×  ×  ×
「上流国民」が"息子殺し"をしでかしてしまった。
76歳の元農水事務次官・熊沢英昭容疑者のことである。家庭内暴力を振るう、引きこもりの44歳の長男が、自宅隣の小学校の運動会の音に腹を立て「うるせえな。ぶっ殺すぞ」と騒ぐ姿を見た。児童らに危害を加えるのではないか?と恐怖に襲われ、つい我が子を殺害してしまった。
容疑者の体には複数のアザが残っていた。日ごろから長男から暴力を受け、心身ともに限界を感じ、追い詰められた末の"究極の選択"だったのだろう。
多くの人が同情した。当方もちょっと泣けた(彼が次官の頃、JRAの経営委員だったので、面識もあった)。
「親としてけじめをつけた」と支持する意見もある。農水省OBが減刑嘆願に動き出した。
しかし、今回の「息子殺し」はあまりに「日本的な責任の取り方」ではあるまいか?
   ×  ×  ×
「上流国民の悲劇」を感じた。「決行!」の背景に、高級官僚らしい「思い込み」「思い上がり」が隠れているような気がするのだ。当の長男は「次官の父親」を自慢していた。普通なら「親父の悪口」を言いたい頃に......。「上流国民」家族の「思い込み」を感じる。
日本の殺人事件の半分は、親子間や夫婦間など親族のなかで起きている。殺人に至るには、それぞれの家庭内に複雑な事情がある。今回だけが「特別」ではない。
でも、今回、世間は"思慮分別のある高級官僚だから殺した"と、さも正しい判断だったと思い込む。メディアも、まるで「容疑者の味方」である。
これも、世間が「上流国民は特別だ!」と勘違いしている証拠ではあるまいか。
   ×  ×  ×
「ひきこもり地域支援センター」に相談すべきだった!なんて言わない。高級官僚でなくても誰でも「家の恥」を隠そうする。仕方ない。
でも、長い役所暮らしで「自民党政権の空気」に熊沢容疑者は敏感だったのではないか。
安倍政権がめざす憲法改正。自民党の憲法改正草案の第24条には〈家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない〉とある。
自由を享受し、権利を行使するに当たっては、自助努力と自己責任の原則に従え!ということだろう。自民党の「家庭道徳観」に、この「上流国民」は敏感だった?
介護、不登校、引きこもり......は、公的機関を利用するのではなく、家族が自己責任のもとに面倒を見る。「自助」が原則?この自民党の「家族道徳主義」を一人の「上流国民」が実践した。そして、世間は「息子殺し」を容認する。
それでいいのか?
「公助」を否定する「責任の取り方」に、僕は反対だ!

うさぎとマツコの人生相談
週刊エコノミストOnline
Newsがわかる
政治・社会
くらし・健康
国際
スポーツ・芸能
対談
コラム