サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2019年4月28日号
平成とは――「カネと数」の小沢一郎が「革新」を潰した!
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牧太郎の青い空白い雲/715

戦後の政治は、おおむね「自民党vs.日本社会党」だった。
1955(昭和30)年、右派社会党・左派社会党が「護憲・反安保」の旗印で統一。この年、日本民主党と自由党も「改憲・安保護持」で保守合同し、自由民主党が誕生した。「55年体制」である。
しかし、それは"見せかけ"の2大政党制。議員数で自民が3分の2、社会党は3分の1で、「政権交代」が実現しない。それでも「昭和」の時代、野党第1党の日本社会党はそれなりの影響力を持っていた。
   ×  ×  ×
それが、どうだろう? 社会党は名前を「社民党」と変えてもジリ貧。今や、議員数が衆院2人、参院2人。夏の参院選で3人を当選させて計5議席を確保するか、比例の得票率が2%を超えないと「政党要件」を失う。
「平成」は社会主義政党没落の歴史ではないか?
一部の学者センセイは「イデオロギーの時代は終わった。社会主義は終わった」と言う。しかし、それは違う。いま、世界は「隠れた社会主義ブーム」なのだ。2016年のアメリカ大統領選で「社会主義者・バーニー・サンダース」が大健闘。次の大統領選に向け、若手の社会主義者が次々に名乗りを挙げている。
1989(平成元)年ベルリンの壁とともに共産主義諸国が崩壊した。全世界が資本主義に覆われ、イデオロギー闘争は終わったはずだったが......今、再び社会主義が脚光を浴びている。
だというのに、日本は「社会主義政党の敗北」を経験している。
   ×  ×  ×
しかし、平成になって「革新」という名の「非自民勢力」は念願の「政権交代」を実現した。93年の細川連立内閣誕生がそれだ。非自民の8党が結集して衆議院第5党の党首を首相に擁立。"離れ業"だった。
そして、2009年には「政権交代が正義!」というキャンペーンが功を奏し、民主党政権が誕生した。この年の新語・流行語大賞は「政権交代」だった。
何しろ、初めての「選挙による政権交代」である。その背景には、選挙民に「弱きを助け、強きをくじく」社会主義的共感が存在した。にもかかわらず「革新勢力」は確実に凋落(ちょうらく)した。なぜだろう?
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幸か不幸か、2回の「政権交代」の中心には「自民党をぶっ壊すことに執念を燃やす小沢一郎」という特異な政治家が存在した。
結論を先に言う。「革新(=非自民勢力)」は「小沢一郎」のおかげで天下を取り、その結果、めちゃくちゃになった。
彼の手法は強引だった。野党を分断して「多弱状態」に追い込む。その上で「連合」を呼びかける。「多弱」の指導者は力不足で、結局「小沢一郎」に権力が集中する。「政権交代」を実現し、一番首相ポストの近くにいながら首相にはならない。「闇将軍」として長く権力を握り続ける。
新タイプの権力者は「政権交代」というキャッチフレーズとともに、平成の一時代を牛耳った。
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でも「小沢の天下」は続かなかった。自らの政治資金疑惑が引き金の一つになって、民主党政権は崩壊する。気がついてみると「政権交代」を実現し、浮かれていた「革新(=非自民勢力)」はバラバラになっていた。厳しい見方になるが「革新勢力」は小沢一郎の手練手管にだまされたのだ。
2年前の衆院選直前、東京都知事・小池百合子と民進党代表だった前原誠司主導で「希望の党」が誕生した。この時、小沢一郎は参加しようとして拒絶された。求心力は一気に低下した。
小沢一郎はこれで終わり!と言われたが、去年の秋ごろから「政権交代」という"昔の名前"で再登場している。相棒に選んだのは「国民民主党」。支持率は約1%。社民党同様、「いずれ、消滅か?」と言われる不人気政党である。
小沢一郎は彼らに「理念が違う社民党まで糾合するつもりで再編しろ!」とハッパをかけているらしい。当選回数は17回。今年で在職50年を迎える小沢にかかったら「平成のリーダー」たちなど赤子の手をひねるような存在だ。
「理念」を捨て大同団結? 結構だが「理念」を捨てて一緒になれる「価値」とは何だろう?
金権政治の権化?田中角栄の秘蔵っ子だった小沢は、カネが政治を左右する!と信じている。
彼は100億円以上と言われる国民民主党の政治資金を意識している。旧民進党の巨額の政治資金は立憲民主党ではなく、国民民主党が継承しているのだ。
「理念」を捨て「カネと数」の小沢一郎に牛耳られた「平成の革新」って、一体、何だったのか?

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