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2024年7月14日号
社会 遺骨の眠る土砂を基地建設に? 沖縄「慰霊の日」にも撤回せず
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 カチャリ、カチャリと、ねじり鎌の音が暗闇に響きわたる。沖縄本島南部、糸満市に残る旧日本軍の構築壕(ごう)の中で、戦没者の遺骨捜索が行われていた。具志堅隆松さんはこれまで約40年にわたり、沖縄各地で遺骨を探し続けている。

 沖縄本島南部には、琉球石灰岩が浸食されてできた自然の洞窟が無数にある。それらは「ガマ」と呼ばれ、戦時中には住民たちの避難所や、軍の戦闘陣地、野戦病院などにも利用された。具志堅さんは、地元の言葉で「ガマを掘る人」という意味で、「ガマフヤー」と呼ばれている。遺骨収集ボランティアとして、これまでにも多数の遺骨や遺品を発掘した。特に激戦地となった本島南部では、いまだに「どこを掘っても遺骨が出てくる」という。

「ほら、これを見てください」。差し出されたものは、黒く焼けた親指の骨だった。その「誰か」の骨は、この瞬間まで暗闇に眠っていたのだ。

「ある壕の奥でこんな方の遺骨を見つけたことがあります。片足は靴を履いているのに、もう一方は裸足(はだし)の遺骨でした。その方は小銃の先を喉元にあて、自害したんです。手では引き金に届かないので、足の指で引き金を引いたんですね」

 土をかきわけながら、具志堅さんが静かに語る。「〝生きて虜囚の辱めを受けず〟という『戦陣訓』、あれはまだ終わってないと私は思います。そうしたことを教育・命令したことは間違っていましたと、きちんと国と確認しなければいけない。ここにいる人々は、〝自決〟というきれいな言葉で言い換えられていますが、実際は強制された死だったんです」

 220年4月、防衛省は、辺野古の米軍新基地建設のための埋め立て工事に必要な土砂を、いまだ多くの戦没者遺骨の眠る沖縄本島南部でも採取する計画を発表した。その需要を見越した先行開発により、沖縄戦犠牲者の遺骨が納められた「魂魄(こんぱく)の塔」に隣接する土地が、採石場になるかもしれないという。

 具志堅さんら有志は、沖縄「慰霊の日」(623日)を前に、同月18日、土砂使用の断念、撤回を求め、永田町の衆院第1議員会館にて政府交渉を行った。防衛省の担当者は、遺骨捜索が続いていることを真摯(しんし)に受け止めるとしたうえで、「適切に対応する」と述べるばかりで、撤回には至らなかった。

 具志堅さんは岸田文雄首相の「慰霊の日」の訪沖を前に、「沖縄南部からの土砂採取断念」を明言すべきだと求めたが、23日当日、「沖縄全戦没者追悼式」においても、岸田首相は「遺骨収集も踏まえ調達先を考えなければならない」と述べるに留(とど)まった。

 平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦で命を失った人々の名前が刻印されているが、刻銘者数は毎年更新され続けている。今年で合計242225人となった。沖縄県、沖縄以外の都道府県出身者に加え、米国、英国、台湾、朝鮮半島出身者の名前が刻まれているが、「従軍慰安婦」は記名されていないなど、沖縄戦の実態はいまだ真相解明の途上にある。

 戦没者の遺骨で海を埋め立て、新基地を建設するという愚行には今も歯止めがかかっていない。

(佐藤慧)

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