牧太郎の青い空白い雲/964
中学生の頃、隅田川にかかる「両国橋」を渡って、東京都墨田区本所の母校・日大一中に通った。
江戸時代、この橋の西側は武蔵国。東側が下総(しもうさ)国。だから「両国橋」。幕府は当初「外部の攻撃」から江戸の町を守るため、隅田川への架橋は「千住大橋」以外、認めなかった。ところが1657(明暦3)年に、五百余町が焼失した「明暦の大火」(俗にいう振袖(ふりそで)火事)で、橋がなく逃げ場を失った約10万人が隅田川に飛び込み亡くなってしまった。
そこで、時の老中・酒井忠勝は防火・防災目的のために「両国橋」の建設を決断した。
橋の東側に「回向院(えこういん)」がある。正式には「諸宗山(しょしゅうざん) 無縁寺(むえんじ) 回向院」(江戸三十三観音札所 第4番)。「振袖火事」の犠牲者を葬った万人塚を造ったのが始まりで、この寺には、安政大地震などの水死者や焼死者、それに刑死者などの無縁仏が埋葬されている。
10年間に荒らした大名屋敷が95カ所、盗んだカネは三千両余り。あの大泥棒「鼠(ねずみ)小僧」の墓もある。
大名屋敷だけを狙って盗みに入り、人を傷つけることもなく忽然(こつぜん)と姿を消す。世に「義賊」と言われた男の墓だ。
なかなか捕まらなかった「強運」にあやかろうと期末試験の頃、「鼠小僧」の墓石を削り「お守り」に持って帰ったのを覚えている。
その鼠小僧、捕まった時「恐れながら申上げます、大名方と申しまするものは、表玄関から這入(はい)ります時は、その用心は極厳しい事でございますが、裏の庭口から忍び入ツて、御主人の御居室へ這入ります時は、その締方が手薄いものでございます、大名方が一番私は金が取りようございました」(講談鼠小僧)などと〝忍びの術〟を供述している。
住人が寝ている時間帯に忍び込む「手口」は、盗みのイロハ。警察用語では「ノビ(忍)師」と呼ばれるが、鼠小僧はその「ノビ師」の元祖? 最近も全国各地の寺ばかりを狙い、あわせて1億円を盗んだとみられる「39歳のノビ師」が逮捕されている。
その「ノビ師」の元祖にとって怒り心頭なのが、例の「闇バイト」でなかろうか。「忍び込む」技術を勉強しないで、堂々と窓を叩(たた)き割り、眠っていた高齢者に暴力を振るい口や手足を縛る。こんな「盗っ人」、鼠小僧は見たことないだろう。
鼠小僧も賭博で身を持ち崩し、その資金稼ぎのために盗っ人稼業に手を染めたが、闇バイトに応募した若者も同じよう理由で「犯罪」に手を出したのだろうか。
それにしても、コトの善悪がまるで分からない若者がカネのためには「人を殺してもよい」と思っている?「盗っ人稼業」の歴史的変化に思わず泣いてしまった鼠小僧は、「国会議員さまが平気に裏金脱税するご時世だから......仕方ないか」と苦笑いしている?
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◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある