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2021年12月19日号
社会 滋賀県が欧州6言語で捜索開始 「安土城」を描いた16世紀の絵画
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 滋賀県が400年以上前に焼失した「安土城」を描いた屛風画の捜索に乗り出した。

 どんな城だったのか。織田信長が1579(天正7)年に天守閣を完成させて居住したが、本能寺の変(82年)の直後に焼失した。現在は滋賀県近江八幡市に石垣などが残るだけだ。

 信長の命を受けた絵師、狩野松栄(1519〜92)が、城の様子を克明に描いたとされている「安土山図屛風」。信長がキリスト教のイエズス会宣教師に贈り、献上を託された天正遣欧使節団が当時のローマ教皇グレゴリオ13世に渡した。1592年まではバチカン宮殿に存在したという記録が残るが、その後は行方不明のままだ。

 江戸時代の史料『信長公記(しんちょうこうき)』には安土城の高さは十六間半(約30メートル)とあり、地上6階、地下1階だったという。しかし、詳しい構造や外形は分かっていない。

 そこで滋賀県は「安土山図屛風さえ発見できれば安土城の姿が分かるはずだ」と考え、1980年代に探したが、見つけられなかった。同県安土町(現近江八幡市安土町)も2000年代に研究者をイタリアに派遣したが、発見できなかった。

 今回、県が再捜索する理由は、26年の開城450年に向け、コンピューターグラフィックスを使って城の様子を復元するため。ウェブサイトを開設し、屛風絵が存在する可能性の高いヨーロッパの6言語で情報提供を呼び掛ける。

 06年には、豊臣秀吉時代の大坂を描いた「豊臣期大坂図屛風」がオーストリアのエッゲンベルク城で見つかったこともあった。 

 滋賀県文化財保護課の松下浩氏は「バチカンの所蔵目録にはなく、外に持ち出された可能性が高い。インターネットを活用して情報を集めて発見につなげたい」と期待する。信長の力を見せつけるような雄大な石垣や礎石が残る安土城跡には今夏、筆者も訪れた。城の再建はせず、現状のまま保存してほしい。

(粟野仁雄)

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