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2021年2月28日号
半藤一利さん 日本人への最期のメッセージ 独占手記・半藤末利子
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亡くなる日の明け方、病床で語った

 戦争の悲惨を伝え、平和のための昭和史を書き続けた作家・半藤一利さんが亡くなってからひと月。夫人であるエッセイストの末利子さんが、半藤さんの最晩年の姿と、日本人の良心に訴えたその最期の言葉を明かす。半藤史観を最も深く理解する保阪正康氏の解説とともに――。

◇「日本人は悪くないんだよ。墨子を読みなさい」

 朝、目覚めると8時半だった。隣を見ると夫は例の如(ごと)くに口を開けたまま、すやすやと眠っている。

「かったるいなあー」とため息が出るが、自分を奮い立たせるように服を着替えて、「今日も一日戦いだぞ!」と階下に下りた。

 冷や飯をレンジで温めて卵をかけ、醬油(しょうゆ)をたらして口にかき込む。熱い煎茶をゆっくりと啜(すす)る。さ、そろそろ開始しようか、と洗濯機をまわしたり、昨夜散らかしたものを片づけてから、2階に上がった。

 夫の顔を入り口から見ると、まだぐっすりと眠っているようである。どうやらもう一息つけそうだ、とベッドの端に座った途端、階下で「こんにちは」という声がして娘が階段を上ってきた。

 娘は、「まだ寝てるの?」と言って、私がおしめを替えようとすると、「私がします」と言ってくれた。正直助かる。ありがたい。私は実母を介護していたが、その時から今まで40年以上、週1で働いてくれていたお手伝いさんも、今重病で入院しているのである。

 おしめを替えていた娘が、「あら、息をしてないみたい! お腹(なか)は温かいのに」と言った。

「えっ」

 2人とも飛び上がりそうになるほど動転した。

「早く電話してっ! 119番」

 娘が怒鳴っている。私はおろおろしながら、何とか119番に電話をかけた。娘は夫に股(また)がって、必死で人工呼吸をしている。

 私は受話器に向かって、言葉を発した。

「息が止まってしまいました」

「蘇生させたいですか?」

「当然です」

 大声で答えると、ものの3分くらいで3人の救急隊員さんが人工呼吸器を持って現れ、すぐさま1人の人がベッドに駈(か)け上がり機械を使って全身の力を込めてマッサージしてくれている。

 3人が交代しながら、かなり長時間やってくれたが、そして下半身はまだ温かいのに、呼吸は戻らなかった。

「御愁傷様でした」

 救急隊員に頭を下げられた。

「ありがとうございました」

 私たち2人も深々と頭を下げた。

 救急隊員が去ったあと、娘と2人でしっかりと抱き合って大声で泣いた。妙な表現になるが、何かドデカイことを成しとげた直後のような興奮に、2人とも包まれているようであった。そうなってもまだ私自身は夫が死んだと実感できずにいた。

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