サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2020年5月24日号
片岡亀蔵 歌舞伎俳優
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阿木燿子の艶もたけなわ/301

実力派の歌舞伎役者として、半世紀の長きにわたり、数々の大舞台に花を添えてきた片岡亀蔵さん。唯一無二の「味」を醸し出す演技を支えるのは、ラグビーに昭和の歌謡曲、さらにゾンビ映画まで詳しく語れるという、興味の幅広さにあり!? そして、一度は歌舞伎の舞台を降りようと思ったという、意外なお話も聞けました。

◇「お客様の期待に必ず応える役者」に、僕はなりたいんです。

◇歌舞伎という世襲の世界に理不尽さやジレンマをお感じになったことは?

◇次男の僕はそれで歌舞伎をやめたくなって、違う仕事についた時期もあったんです。

阿木 亀蔵さんのお父様は歌舞伎の名脇役、五代目片岡市蔵さん。そして亀蔵さんは襲名50周年を迎えられたとか。

片岡 はい、お陰様で長いことやらせて頂いています。僕には兄(六代目片岡市蔵)が居るんですが、子役時代は、例えば兄が風邪引いたなんてことになると、弟の僕を出しておけ......みたいな感じだったんです。なので3歳くらいから舞台には出ていたと思うんですが、その辺の記憶が曖昧で。

阿木 子供心に舞台が楽しかった、とかいう思い出は?

片岡 あまりないですね。あの頃、後の(十八代目中村)勘三郎さん、(十代目坂東)三津五郎さんや、(八代目市川)門之助さんとか、子役が沢山(たくさん)居て。僕が一番年下だったので、あまり良い役も付かなかったし。それに僕、声が低かったんです。

阿木 今、お話しになっていて、そんな感じはしませんが。

片岡 いえ、人が聞くとびっくりするくらいの低さで。「燈台鬼」というお芝居に出た時、(二代目尾上)松緑さんの少年期の役をやらせて頂いたんです。「とーとーさーま」という台詞(せりふ)があったんですが、子供らしからぬ低音で、哀れさが出ないって、台詞を全部カットされました。

阿木 それ、ちょっと傷つきますね。そこはお客様の涙を誘うシーンだったんでしょうね。

片岡 だからもう、声はコンプレックスでしたね。

阿木 歌舞伎役者さんはみなさん、声変わりの時期は、中途半端になると仰(おっしゃ)いますよね。

片岡 僕の場合、子役の時から声変わりしているようなもんでしたが、実際、その年になったら逆に声が高くなりました。

阿木 えっ、そうなんですか? 珍しいですね(笑)。でも当時は〝低音の魅力〟のために、役が付かなかった?

片岡 歌舞伎は基本、子役か大人の役しかないんです。だから中学、高校になると合う役が無くなって、舞台に上がること自体、難しいんです。それで、その間、歌舞伎から離れたんです。

阿木 ここでちょっとお尋ねしたいんですけど、歌舞伎というのは基本的に世襲制ですよね。名のある家柄の長男に生まれれば、いずれ父親の名を継ぐことになる。脇筋の家だと歌舞伎役者になっても、主役は張れない。その上、次男はなおさら分が悪い。他の演劇なら「今に見ていろ」という反骨精神で、成り上がることも出来ると思うんですが、その辺に対する理不尽さとかジレンマとかを、お感じになったことは?

片岡 まあ、長男、次男で言えば生まれた時から順番は決まってますからね。長男は蝶(ちょう)よ花よで育てられ、次男になると親が構わなくなる。例えば成長の記録を撮った写真なんかも、全然少ない。そうなるとまあ、ひねくれるというか。だから僕は歌舞伎をやりたくなかったんです。何をやったって褒められるのは長男だし、お小遣いの額も違ったりしますよね。

阿木 下手したら、おかずまで違いません? 私には兄が居るんですが、長男の兄にはトンカツのお肉が何切れか、多かった(笑)。

片岡 うちは特におかずの差はありませんでしたが。ただ魚だったら長男は頭、僕は尻尾みたいな(笑)。

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