牧太郎の青い空白い雲/994
子どもの頃(昭和20年代)、ラジオの講談を聴き〝海道一の親分〟清水次郎長!に憧れていた。広沢虎造の浪曲も聴いたし、村上元三の小説『次郎長三国志』も読んだ。
弱きを助け、強きをくじく――。戦争直後、こうした「次郎長流の任侠精神」を信奉する若者もいて、東京下町の小学校の同級生の何人かが「ヤクザ」になった。
「警視庁4課」(組織犯罪)担当の新聞記者になって、ちょっぴり勉強。次郎長だって刑務所に入ったことを知った。明治16(1883)年に静岡県令に就任した「元薩摩藩士・奈良原繁」は〝博徒の大刈込(おおかりこみ)〟に着手、次郎長は翌年、「賭博犯処分規則」違反で静岡県警察本所に逮捕される。「懲罰7年・過料金400円」で井宮監獄(静岡市葵区井宮町)に服役した。
当時、〝お上〟から街道警護役という大役を任せられ、平民としては破格の「帯刀」も許されていた次郎長だったが、旧幕府時代の賭博稼業まで違反とされるとは......。重い刑罰だった。
いつの時代も、時の権力者は勝手に法律を作り、勝手に法律を使い、新しい天敵を潰す。
平成、令和になってヤクザは激減している。警察庁の調べでは、1989年(バブル最盛期)、暴力団の構成員はおよそ8万7000人。ところが2024年末時点の人数は、前年比1600人減の1万8800人。20年連続で減少し、ついに2万人を割り込んだ。
理由は?
盃事(さかずきごと)による絶対的な親分・子分関係という「規範」が若者に受け入れられないこともあるが、最大の原因は暴対法や暴排条例で、法制面で「がんじがらめ」にされているからだ。バブル期、ヤクザは「お金持ち」だった。「地上げ」で儲(もう)け「株」で儲けた。当時「ヤクザの平均年収は1477万円」というデータもある。
それが昨今、(知り合い「マル暴担当」記者に聞いたことだが)普通の暴力団員の大半(下っ端)は「住民税非課税世帯」レベルなのだ。博打(ばくち)はヤクザの伝統的な資金源だが(次郎長だって逮捕されたように)、身内で行う「総長賭博」でさえ禁止されている。
もう一つの資金源である「管理売春」。昨今、女性は自ら相手(男性)を探し、自己責任で向かい合い、堂々とカネを受け取るらしい。中間搾取はできないのだ。
「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)とかいう、「SNSを通じて募集する闇バイトを使って凶悪犯罪を起こす輩(やから)」も登場しているそうだが......。昔ながらの「ヤクザ」という職業は消える寸前?
次郎長の時代から〝お上〟は「ヤクザ」を上手に使い、「使い物」にならないとサッサと消す?
そう言えば、次郎長が登場する〈弱きを助け、強きをくじく〉の講談も、浪曲も、あまり聞かない。
◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある