サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2020年4月12日号
武田信平 川崎フロンターレ前会長・日本アンプティサッカー協会理事長
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阿木燿子の艶もたけなわ/296

プロスポーツチームの裏方は、意外と地味でつらい仕事です。武田さんが社長に就任した当時の川崎フロンターレも課題山積でしたが、地道な努力で行政、市民、親会社などの理解と協力を得ていきました。その努力は一チームにとどまらず、川崎という街の姿まで大きく変えました。現在普及に力を入れる、新たな障害者スポーツについても語ります。

◇忘れてはならないものは、ひたむきさ。全身全霊で当たる姿が心を打つんです。

◇御自身も元選手。チーム編成に口を出したくなりませんでしたか?

◇それはないですね。私は選手としては1年で戦力外になった男ですから(笑)。

阿木 私、川崎市の隣町、横浜市の鶴見で育ったんですけど、子供の頃、あの辺りは煤煙(ばいえん)の街でした。京浜工業地帯に隣接して、いつも空はどんより曇っている、まさに〝灰色の街〟。そのイメージを払拭(ふっしょく)なさったのが武田さん。サッカー・Jリーグの川崎フロンターレを地域に根付かせ、川崎市民の誇りにまでなさった。今日はどんな魔法を使われたのか(笑)、その辺のところから伺いたいのですが?

武田 別に私、特別なことをしたわけじゃなくて(笑)。

阿木 でも、本当に一昔前の川崎のイメージって、空気が汚い、柄が悪いというものでしたが。

武田 私がフロンターレの社長になって、川崎の街を歩いた時は、確かにそう言われても仕方がない所はありましたが、住んでいる方々はとても気さくで、良い人達が多いんです。

阿木 川崎は東京のベッドタウンの要素が強くて、他県からの流入が多い。その分、〝地元愛〟みたいなものが育ちにくそうですが。

武田 まあ、所によっては、まとまりに欠ける、ということはありましたが、だからこそ、市民の心が一つになるものが求められていたんじゃないでしょうか。それに、御存知の通り、川崎は縦に長い。

阿木 そうなんですよね。電車に乗っていると、「えっ、ここ川崎なの」って驚かされることが結構、あります。

武田 地図で見ると、南北に細長いんです。この独特の地形、そしてそれぞれの地域の成り立ちが違うために、北側と中央と南側では、住民の意識が違うんです。

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