阿木燿子の艶もたけなわ/293
中島みゆき、山口百恵、沢田研二、KinKi Kids......。音楽史に輝くスターたちのヒット曲を支えてきたのが今回のゲスト、船山さんです。作詞家と作曲家が紡いだ言葉とメロディーを、最高の一曲へと仕上げる、編曲家の仕事とは?酒井政利氏やジャニー喜多川氏など、時代を創った名プロデューサー達との丁々発止の思い出話も必読です!
◇発注には確実に応えつつ、自分の色を隠し味として入れる工夫をしてました。
◇ジャニーズのタレントさん達の曲を作る時に気をつけたところは?
◇「決め」の箇所が大切。印象的に入ると、ジャニーさんが喜んでくれました。
船山 かなり、お久し振りだと思うんですけど。
阿木 どのくらいになるんでしょうか?
船山 山口百恵さんの時だから。
阿木 じゃ、40年以上ですね。私が作詞家になって間もなく「横須賀ストーリー」というアルバムが出たんですが、そこで何曲か船山さんにアレンジをして頂いたのが最初ですね。まだあの頃は作詞家が何たるかの自覚もないままに、私と主人が書いた曲がアレンジャーの手にかかると、こんなふうに変わるのかと、驚いたのを覚えています。あの時で船山さんは、20代の中頃?
船山 そうですね。丁度(ちょうど)、百恵さんとかをやらせて頂いて、歌謡曲の洗礼を酒井政利さんから受けていた頃ですね。
阿木 酒井さんは業界では知らない人の居ない辣腕(らつわん)プロデューサー。百恵さんを始め郷ひろみさん、南沙織さんなどを手掛けられた方で、私も本当に酒井さんには鍛えられました。でも、そうやって鍛えてくれる人が居たって、幸せですね。
船山 本当にそうですね。ほら、作詞家の方は書き直しとか、よくされてたじゃないですか。僕、酒井さんの仕事で、1曲完全にやり直したのがあります。作業がすべて終わっていたのに「もう一度、ひねってみて下さい」と言われて、結局2回ひねりました。
阿木 2回というのは凄(すご)いですね。あの頃は1曲にそれだけお金を掛けていたってことですよね。