牧太郎の青い空白い雲/1007
1950(昭和25)年9月27日付の『夕刊朝日新聞』と『朝日新聞』(朝刊)にスクープ記事が載った。当時、日本は連合国軍の占領下。レッドパージが始まって、何人かの日本共産党関係者が地下に潜伏していた。ところが......朝日新聞神戸支局の記者が、潜伏している党幹部「伊藤律」との単独会見に成功した! と言うのだ。
「目隠しされ、潜伏先の兵庫県宝塚の山林のアジトまで案内された」。詳しい「一問一答」も載せている。
当時、日本共産党幹部の「伊藤律」は大物。当局はびっくりした。「法務府特別審査局次長」という人物が朝日幹部の立ち会いのもとに「その記者」に会い、詳しく事情を聞いたのだが......。「会見したという場所」が特定できない。当局は記者の周辺を捜査。すると、会見が行われたとされる時刻、その記者は宝塚の旅館に泊まっていた。単独会見は真っ赤なウソ。「捏造(ねつぞう)記事」だった。
朝日新聞社は社告を掲載。記事全文を取り消し、陳謝した。これが新聞史最悪の「伊藤律架空会見」。早稲田大・新聞学科に入学した最初の授業で、教授から「捏造は殺人より重い犯罪」と教えられた。
最近、ネットで、同じような「捏造」らしいことを知った。
【1995年。麻原彰晃がどこにいるかが社会的関心になっていたとき、A(※本誌ではAとした)さんは京都のブライトンホテルで単独取材したとテレビで発言、ありもしないでっちあげ取材ノートまで公開していた捏造を忘れません。(麻原は)汗びっしょりだったと語っていたことをいまだ鮮明に覚えている。嘘というより偽造捏造でした】
この事実をX(旧ツイッター)で明らかにしたのはジャーナリストの有田芳生さん。衆院議員でもある。30年も昔のことだが、はっきり覚えている。当時、麻原彰晃の「オウム真理教」が地下鉄にサリンをばら撒(ま)く事件を起こしていた。
実は、オウム真理教を最初に告発した当方、「教団から命を狙われている!」という情報もあってこの頃、「名前を隠して」病院に入っていた。世間の関心も「麻原がどこにいるのか?」だった。有田さんが批判する「Aさん」はテレビ番組に出演。「麻原に京都のブライトンホテルで単独取材した」と話したのだ。しかし、この「単独取材」はどうしても無理。麻原はズーッと山梨県・旧上九一色村のオウム真理教の施設「第6サティアン」から一歩も出ず、逮捕された。
京都に現れるはずがない。Aさんは本当に麻原と会ったのか?
有田さんをはじめ、当時、事件を追った記者連中は「これは捏造報道だ!」と騒いだが、なぜか問題視されず、今、Aさんは大活躍している。遠い昔の事件を蒸し返すつもりはないが、高市さんはメディア嫌い。手ぐすねを引いて「メディアの失敗」を待っている(笑)。
◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある