サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年12月29日号
島田歌穂 歌手・女優
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阿木燿子の艶もたけなわ/282

今年芸能界デビュー45周年を迎えた島田歌穂さんは、そのキャリアの折々で行き先に迷うこともあったそう。でも、そこで道を照らしてくれた人達がいたから、今があると言います。その一人でもある、夫でピアニストの島健氏との作品作りの話や、出世作「レ・ミゼラブル」の思い出など、たっぷりとお話し頂きました。

◇数えきれないほど多くのことを、「レ・ミゼラブル」で学びました。

◇お父様もお母様も、音楽家なんて、恵まれていますね。

◇自然に音楽に慣れ親しませてくれたことは幸せだったなと思っています。

阿木 実際にこうしてお目にかかると、とてもスリムでいらっしゃるんですね。
島田 えっ、そうですか? 昔、バーンとしていた時期があったので、「ずいぶん萎(しぼ)んじゃったね」とおっしゃる方もいらして(笑)。
阿木 残念ながら、若くして亡くなられた本田美奈子.さんは、あのスリムな体のどこから、あれだけの声量のお声が出るのかと思うくらいでしたが、島田さんも。
島田 いえ、私なんか。美奈子ちゃんは特別、細かったですよね。私も彼女の声を聴く度に、同じことを感じていました。
阿木 ミュージカルの俳優さんって、豊かなお声で、朗々と歌われる方が多いですよね。昔からボイストレーニングをなさっていたんですか?
島田 いえいえ。元々、私の父は音楽家で、昔はビッグバンドでピアノを弾いていたんです。加えて作曲、編曲、ボイストレーナーもやっていました。母は元タカラジェンヌで、退団後はジャズ歌手に転向したんです。両親の影響もあって、小さい頃から、家の中にはいつも音楽が流れていたので、私も自然に歌が好きになりました。でも、きちんと先生についたのは、ミュージカルを始めてからですね。
阿木 お父様には習わなかったんですか?
島田 「教えて欲しい」と何度か頼んだんですが「女の子も大人の声に変わる時期があるので、まだ早い」と言われ、なかなか首を縦に振ってもらえなくて。
阿木 意外に、親にものを教わるのって、難しいですよね。とくに反抗期になると、素直にアドバイスを聞けなかったりするし(笑)。
島田 それはありますね。ただ私の場合、子役でデビューして、アイドル歌手をやっていた時期があったんですが、芽が出なくて(笑)。18歳でミュージカルの初舞台を踏んだ後もパッとしなくて、鬱々としていたら父が「お前、ジャズでも勉強してみるか」って言ってくれたんです。それで当時、父がピアノを弾いていた店で、私、アルバイトでジャズを歌わせてもらったんです。その時、初めてジャズの〝いろは〟を、父から手ほどきしてもらいました。
阿木 ジャズと言えば、お母様もジャズシンガー。お母様は宝塚では男役?
島田 いえ、娘役で。もう亡くなりましたけど、とても綺麗な人だったんです。私は母には似てなくて、父親似。小さい頃、「パパにそっくりね」と言われると、泣いて怒っていたらしいです(笑)。
阿木 それじゃ、お父様に悪いじゃないですか(笑)。
島田 本当に。父を大分傷つけたみたいで(笑)。
阿木 ご両親共、音楽のお仕事をなさっていたから、娘にも音楽好きになって欲しい、との想いを込めて、歌穂と命名なさったんでしょうね。

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