サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年11月 3日号
小堀鴎一郎 医師
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阿木燿子の艶もたけなわ/274

「人生の最期を迎える場所は?」と聞かれたら、多くの方は「病院」が頭に思い浮かぶでしょう。近年関心を集めるのが、自宅で息を引き取る「在宅死」という選択肢です。小堀鴎一郎さんは、在宅医療が専門の医師。80歳の現在もなお愛車に乗り、患者の自宅訪問を続けています。望ましい「死」のあり方について、伺いました。

◇在宅死について美談めいた報道がなされますが、実際はとても地味な活動。

◇大学病院にいた時と今とでは、患者さんの死に対する受け止め方は変わりましたか?

◇それは全然違いますね。大学病院での死は敗北ですから。

阿木 先生は在宅診療や看取(みと)りをなさる訪問診療医でいらっしゃる。先生の日常のお仕事ぶりを追いかけたドキュメンタリー映画「人生をしまう時間(とき)」を拝見いたしました。主人(宇崎竜童氏)と一緒に観たんですが、いろいろ考えさせられました。

小堀 そうですか。ご主人とね、ありがとうございます。

阿木 私の子供の頃の記憶では、お医者さんがよく祖母の元に往診にきてくれていましたね。当時は、家で看取るのは当然という感じで、お通夜とお葬式も、お坊さんを呼んで家でやってました。近所のおばさん達が集って、お煮しめやら揚げ物を作ってくれたのを覚えています。

小堀 その様子が、ご記憶に残っていらっしゃるんですね。

阿木 はい、祖母の枕元でみんなが集って「今夜は賑(にぎ)やかだな」と思ったのが、幼心に残っています。

小堀 僕はそういう体験って、大事だと思うんです。子供の頃に、それがあるのとないのとでは、死に対する感じ方がまるで違う。ない人は死に直面すると、看護のプロのヘルパーさんやケアマネさんでも動揺して、現場から逃げ出したりしますから。

阿木 家に訪ねて行って、相手がもう息をしていないと分かった瞬間に、パニックに陥ったり?

小堀 そうですね。ドアを開けっ放しのまま、慌てて外に飛び出す人もいますしね。僕も実際、そういう場面に遭遇したことがあって。看護師と駆けつけると、ドアは開いているけど、担当のヘルパーさんはいないんです。そういうヘルパーさんでも、子供の頃、おじいさん、おばあさんの死と対面していれば、対応がまるで違ったと思うんです。

阿木 それに最近は、密葬や家族葬が増えていますよね。なので、知人の葬儀に立ち会って、棺(ひつぎ)の中の故人の顔を見る機会も減っていますし。

小堀 あー、それもありますね。

阿木 今は病院死と在宅死を比べたら、圧倒的に病院で死ぬほうが多いですよね。原因としていろいろあるとは思いますが、一番大きな要素は何だと思われますか?

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