サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年10月27日号
村岡恵理 作家・ライター
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阿木燿子の艶もたけなわ/273

不朽の名作『赤毛のアン』。児童文学として、また、アニメで触れた方も多いでしょう。原作を日本に紹介した翻訳家・文学者の村岡花子。その孫・村岡恵理さんが、今回のゲストです。花子や作詞家の岩谷時子氏など、近代日本文化史に足跡を残す女性たちの偉業を丹念な取材で、ものする村岡さんに、ウラ話をお聞きしました。

◇一人で権力と闘った岩谷時子さんは本当に芯の強い方だったと感じます。

◇一度も人の手が入っていない資料の整理は、きっと大変だったんでしょうね。

◇祖母の遺品の整理だけで、私の人生は終わってしまうのではと本気で思いました。

阿木 今日はお洋服なんですね。7月の初め「岩谷時子賞」でお目にかかった時は、素敵(すてき)なお着物をお召しになっていて。着慣れていらっしゃったので、てっきり粋筋(いきすじ)の方かと。

村岡 いえいえ、そんな。ただ日舞を長く習っていましたので。着物が好きなんです。

阿木 道理で。授賞式後のパーティーで、マイクに向かわれるお着物姿が、絵になっていらっしゃいました。

村岡 あの時、私、緊張していて、本当に恥ずかしかったんです。

阿木 そうですか? でも、かなり長い時間、出版に至るいきさつを、堂々とお話しなさってましたよ。

村岡 はい、その割にペラペラ喋(しゃべ)りましたね(笑)。

阿木 村岡さんは『赤毛のアン』シリーズの翻訳で有名な村岡花子さんのお孫さん。おばあ様のことを書かれた評伝『アンのゆりかご』がNHKの朝ドラになったんですよね。「花子とアン」、私も観ていました。

村岡 ありがとうございます。(ドラマ化は)思ってもみないことだったので、本当にびっくりしました。

阿木 そして今度は作詞家の岩谷時子さんの評伝、『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』を出されて。

村岡 こちらのほうも、私には身の丈以上のご依頼でしたが、私の母が越路吹雪さんの大ファンだったこともあり、私も岩谷さんのお名前はよく存じ上げていたので、即答で「やらせて頂きます」って。

阿木 よくあんなに詳細に書けましたね。日記が残っていたんですか?

村岡 岩谷さんは、越路さんが亡くなられてからエッセー集を出されたり、いろいろなところに文章をお寄せになったりしてるんです。でも、やはり日記は大きかったですね。

阿木 それにしても一冊にまとめるのは、大変なご苦労があったのでは? どのくらいかかったんですか?

村岡 もうお恥ずかしいくらい時間がかかってしまって。ご依頼頂いた岩谷時子財団の方からは「もう俺、死んじゃうよ」と言われました。言い訳になるんですけど、物を書く方の日記って、後から人に読まれることを想定しているんです。『赤毛のアン』の原作者のルーシー・モンゴメリも日記をしたためているんですが、そのために何度も推敲(すいこう)している。でも、岩谷さんの日記は、ご自分の記録のためだけのものなので途中、抜けている時期があったりで、埋める作業が必要でした。

阿木 『ラストダンスは私に』の中では、事実関係だけではなく、例えばその時、(マネジャーでもあった)岩谷さんが越路さんに対してどんな感情を抱いたかとか、ご主人の内藤(法美(つねみ))さんに、どんなふうに腹を立てたか、みたいなことも書かれてあったでしょう? その辺は岩谷さんの日記プラス、村岡さんのイマジネーション?

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