サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年10月20日号
湯山玲子 著述家・ディレクター
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阿木燿子の艶もたけなわ/272

音楽・映画・食など文化全般に詳しく、情報番組ではご意見番も務める湯山玲子さん。女性の総合職がまだ珍しかった1980年代、大手出版社に就職。30代でフリーとなり、一人クラブ通い、一人寿司など、女性の新たな生き方を次々と世に発信してきました。対談では自身の来歴から、イマドキの男女関係に至るまで「湯山節」が炸裂しました!

◇もともとコンサバな性格。フリーになって今の性格を手に入れた気がする。

◇ご自分の意思で会社を辞めたのに、みんなと一緒でないことが心細くなった?

◇そう、会社に通わなくていいのがバンザイじゃなくて、不安と恐怖なんですよ。

阿木 頂いたお名刺の会社名、「ホウ71」は、どういう由来でお付けになったんですか?

湯山 私、大学を出てから34歳まで、情報誌『ぴあ』の社員だったんです。退社後フリーになって、雑誌や広告を請け負うプロダクション業務も増えてきて、取引上、法人が必要になって、あわてて作った会社なんですよ。考えなしに、その時、飼っていた猫の名前を付けたんです。

阿木 34歳ということは、独立なさって、かれこれ四半世紀?

湯山 本当に月日が経(た)つのが早くて。今日、阿木さんにお目にかかるということで、ネットで数々の楽曲を拝見したんですが、阿木さんがお書きになった一連の山口百恵さんの歌詞は凄(すご)いですね。共感や癒やしばかりの今のJポップとはもはや時空が違う。

阿木 ありがとうございます。でも百恵さんあってのことなので、本当に最高の出会いをさせて頂いたと思っています。湯山さんは何かのインタビューで「山口百恵の呪い」と発言していらっしゃいましたが(笑)。

湯山 そりゃそうです。最後のアレは、女性にとっての一種の呪いだった。

阿木 武道館のラストコンサートで、百恵さんがマイクをステージに置いたことですね。

湯山 引退イコール結婚が彼女の美学だったと思うんですけど、カッコいいだけに、女達はみんな、やられちゃいました。「仕事も家庭も中途半端はダメ」というね。

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