阿木燿子の艶もたけなわ/257
「一億総中流」社会といわれたのも今は昔。非正規で働く人の割合が増え、大企業の終身雇用制にも黄信号がともる現代では状況が一変し、経済格差が広がっています。今回のゲスト、森井じゅんさんは情報番組などで活躍する公認会計士。貧困家庭に育ち「普通の生活」に強い憧れがあったという森井さんが考える「幸せなお金の使い方」とは―。
◇「自立」とは、周囲の人と関係を作り、いい意味で「依存」ができること。
◇今は正社員でも保証のない時代ですよね。会社自体が統合とか、倒産とかある
わけで。
◇それでも「正社員だからとりあえず安心」と信じ込んでいる人がいまだにいる。
阿木 森井さんは公認会計士、税理士、ファイナンシャルプランナーといくつも肩書をお持ちです。2年前に『下流予備軍』という本もお出しになっている。読ませて頂きましたが、かなりショックを受けました。本の中に"中流"という言葉が頻繁に出てきますが、私が抱いていた中流のイメージとは大きく違っていた。
森井 ありがとうございます。私、とても貧しく育って、「中流」というものに一種の憧れがあったんです。と同時に「『中流』って何だろう」とも、ずっと考えていました。
阿木 高度成長の頃は、「一億総中流」という言葉をみんな、信じていましたけど。
森井 日本では、いまだに中流信仰のようなものを持っている方が多いように感じます。日ごろ受けるお金の相談では、「世の中一般はどれくらい資産を持っている?」「所得の平均はいくら?」といった質問が多いんです。みんなと同じ、つまり「中流」と思うことで安心したいんだと思います。本当は切り詰めた生活をしていても、そう思うことで、精神のバランスを取っている人が多い印象です。
阿木 生活が苦しくても、認めたくないんですね。
森井 私、就職氷河期の真っただ中、20代の初めにアメリカに渡り、6年間、暮らしました。日本に帰国して、渡米前と比べ国内は経済的に苦しく、閉塞(へいそく)感も強まっているように感じました。「どうしてなのだろう」と考え始めたのが、あの本を書くきっかけになったんです。
阿木 森井さんはご著書の中で、格差社会が広がることよりも、日本全体が貧しくなっていることのほうが問題だとお書きになっていらっしゃいますよね。
森井 阿木さんが生きてこられた昭和は、政府がお金を使い、いろいろな研究にも投資をした時代でした。当時蒔(ま)かれた種が、後のさまざまな技術革新やノーベル賞などにつながっているんです。ところが今は、財政の厳しさを理由に、国が支出を渋る傾向がありますよね。国民の多くも「政府はもっと支出を抑えなくてはいけない」「バラマキなんてけしからん!」と考えています。この経済低迷時にそんな緊縮政策では景気はさらに低迷する。将来への投資もできずに希望が持てない。個々の家庭も節約志向になってしまうと思うんです。
阿木 お金を使うことに不安を抱く方が多いんですよね。思いがけず不労所得を手にしても、「さあ、みんなで美味(おい)しいものでも食べに行きましょう」みたいな気分にならない。それどころか、「この際だから貯蓄しなくちゃ」って、そっちにいっちゃう(笑)。
森井 そうなんですよね。本当はデフレが長引く今こそ、お金を使える状況を政府が作らなくてはいけない。それなのに政策は「自助」、自分の身は自分で守ることを強調して消費を抑えるものばかり。
阿木 そういう風潮が、若い人が車を欲しがらない、マイホームに対する憧れを持たない、という状況につながるんでしょうね。
森井 本当は若い人だって、車やマイホームを欲しくないわけではないんです。ただ、今の日本では再チャレンジが難しく、失敗ができない。望んだところで手に入らないから、あえて夢を見ないようにしているんです。保守的になってもしかたがありませんよね。
阿木 大人は、「今の若い人は内向きだ」などと批判しがちですが、そう考えると、気の毒ですね。
森井 ちょっと、私の生い立ちの話になってしまうのですが。私、母子家庭の長女として貧乏な環境で育ったんです。食べ物がなくて草を食べて空腹をまぎらわせたりしたくらいでした。
阿木 相当、大変だったんですね。
森井 根無し草のように引っ越しを繰り返しましたが、家にはほとんどお風呂が無くて、トイレは共同だったり。母子家庭で下に妹が2人いたこともあって、小学生の頃から内職をしなくちゃいけなくて。
阿木 小学生ができる内職って?
森井 シール貼りとか、はんだ付けとか。時間もお金も、他の人にとって当たり前のことが、私には無いのが当たり前。中学生の時は水着を買って貰(もら)えなくて、プールに入れなかったり。私にとって"普通"が凄(すご)く遠かったんです。例えば、中学2年の時は、母と一緒に役所に生活相談に行きました。
阿木 そこまで追い込まれていらっしゃったとは。
森井 もう生きるのにギリギリだったので。そうしたら市の職員さんが私を見て、「お嬢さんは、今、中2でしょう。あと1年したら働けるんだから、お母さん、もう1年、頑張りなさい」って。周囲も同じように、私が中学を卒業したら、働いて家計を助けることを期待していた。
阿木 家族だから、長女だから、ってことですよね。
森井 だから私、自分は勉強をしたいなんて思っちゃいけないんだって。その時の私には、選択肢がないことが、凄く辛(つら)くて。望んでも手に入らないから考えないようにしていました。
阿木 その厳しい状況から、どうやって抜け出されたんですか?
森井 中学3年の終わりからアルバイトをするようになって。一応高校には行ったんですけど、気が付いたら母はあまり働かなくなっていて。私が一家の大黒柱になって、最終的には高校も中退しました。もう24時間働きっ放しという感じでした。
阿木 そんな若さで、一家の大黒柱ですか。
森井 しばらくそんな生活を続けたある時、「もう限界だな」と感じたんです。そこで吹っ切れました。「どうせ人生を終わらせるなら、1回くらい好きなことをやってからでも、遅くないんじゃないか」と思えたんです。それで母には「私のことは死んだと思ってください」って言って、家を出たんです。
阿木 いくつの時ですか?
森井 19歳です。その時、母に私の持っているお金を全部渡して「本当にごめんなさい」って。
阿木 お母様は何て?
森井 母は私の言葉を真に受けていなかったですね。
阿木 辛いですよね。親を振り切って行くのって。
森井 本当に。ただ、一度日本から出たことで生き直しができたんです。多分、日本にいたら、親の面倒を見るのは当然、という周囲の目や期待に押し潰されていたと思います。