阿木燿子の艶もたけなわ/24
1962年、デビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒットし、一躍国民的歌手となった中尾ミエさん。歌手活動のほか、映画・ドラマ・バラエティーと多方面で活躍。今年6月上演のミュージカルではアクロバットに挑戦、年を重ねるとともに活動の幅を広げています。長年の芸能生活で中尾さんが培った仕事・人間観をお話しいただきました。
◇いい人と思われるより怖い人のほうがいい。いい人でいるって、しんどそうでしょう?
◇今の時代は、他人との関係が希薄。若人に教えたいと思っても、つい躊躇しちゃう。
◇若い人は知らないことがいっぱいあるわけですから、やはり教えてあげないとね。
阿木 ミエさんが今年の6月、ご出演なさるブロードウェイミュージカル「ピピン」のチラシを拝見したら、"驚きのアクロバット"と書かれていました。まさか、ミエさんも?
中尾 えぇ、私もやるみたいで。お話を頂いた時、ブロードウェイでやっていた時のビデオを観せてもらったんです。で、「まさか、これはやらないですよね」と言ったら、「いえ、お願いします」って。おまけに「そのために懸垂10回ぐらいはできるようにしてください」って言われちゃって。
阿木 懸垂って、あの鉄棒の?
中尾 そう。だから私、「無理です、それは」って。だって、ぶら下がるだけでも大変なのに。でも、一応、努力してみるつもりではいますが。
阿木 懸垂、今は何回くらい?
中尾 何回というほどできません。胸から上に腕がいかない。
阿木 本番は空中ブランコで立つとか、そんなことも?
中尾 男性がケアしてくれるんですけど、その場でいろいろやらなくちゃいけないみたいで。
阿木 とても大変そう。でも、「ピピン」にご出演なさるの、初めてではないんですよね?
中尾 以前にも2回やらせて頂いてるんですが、今回の演出は全然違ってて、サーカス仕立て(笑)。
阿木 私とほぼ同世代のミエさんが、空中ブランコに挑戦なさろうとは(笑)。
中尾 まァ、仕事ですからね。日ごろ、そのために鍛えているわけで。
阿木 そうですよね。日々、コツコツの積み重ねですよね。
中尾 本当にそう思います。でも、逆に言えば、少しずつでもやっていれば、筋肉は応えてくれる。
阿木 ミエさんの資料に目を通しながら、改めて思ったんです。何事もそのコツコツが大事だと。でないとチャンスが来てもつかめない。私も明日から筋トレとか、英会話のレッスンとか、真面目にやろうかなと。今からでも間に合うでしょうか?
中尾 いくつからでも間に合います。でも、明日からと言う人は駄目(笑)。今日からやらないと。
阿木 私、ミエさんって、イソップ寓話(ぐうわ)の「アリとキリギリス」の二つを足して、2で割ったような方ではないかなと。
中尾 それはどういう意味?
阿木 アリの持つコツコツ努力を重ねる資質と、パッと華やかに生きるキリギリス的な面を両方持っていらっしゃる。明日のためにコツコツ蓄えながら、今日という日を精いっぱい楽しむというか。普通、アリさんタイプか、キリギリスさんタイプの、どちらかになってしまうんですけれど。
中尾 まァ、それはどうか分かりませんが、私、基本的に体を動かすことが嫌いじゃないんで。エクササイズの仕方によって、いくつになっても体は変わりますからね。
阿木 本当、年齢に関係なく?
中尾 そのためには、ちゃんとトレーナーに付いたほうがいいです。
阿木 そこですよね。まずは正しい姿勢で、第一歩を踏み出さないとね。
中尾 運動って、自己流でやると、体を壊したり、やり過ぎると逆効果だったりしますからね。
阿木 同世代の方から、そういうアドバイスを頂くと、励みになります。私、子供の頃「シャボン玉ホリデー」をよく観ていたんです。あの番組でミエさんは歌・踊り・コントと大活躍でしたね。
中尾 私、キャリアだけは本当に長くて。今年でデビュー57周年なんです。
阿木 その間は山あり、谷あり?
中尾 鈍いのか、それはあまり感じたことがなくて。ヒット曲が無い時は芝居に出させて頂いていたし、いろいろやらせて貰(もら)っていたので。だから周囲からは「器用貧乏は駄目だ」とか言われてたんですけど、今となったら器用貧乏が身を助けてくれたなと。
阿木 要するに、引き出しをいっぱい持っていらっしゃる。
中尾 デビュー当時は渡辺プロの社長の家に住んでいて、社長から「取りあえず高校は卒業しろ」と言われたんです。でも「絶対、後悔しないので、辞めさせてください」と直訴して、中学までしか出ていないんです。だから学校に行かなかった分、何かで学ばなくてはと思って。それには人だなと。それも違う世界の人と会って学びたいと思っていましたね。で、社長に「なるべく外の仕事をさせてください」ってお願いしたんです。あの頃、渡辺プロは"王国"だったから。
阿木 一時期は渡辺プロに所属しなければ、芸能界の人間にあらず、みたいな感じでしたよね。
中尾 本当に。それで社長が亡くなった後、ここに居れば私は守られるけど、甘えてしまって駄目になると思ったので、ちょうど30年目のキリのいいところで「外に出させてください」って、辞めさせてもらったんです。
阿木 渡辺プロに所属なさっていた頃は、どちらかというとマイペースなタレントさん?
中尾 まぁね。何しろ私、若かったもので。「これはやりたくない」とか言ってましたね(笑)。
阿木 でも、それがミエさんのキャラになって。
中尾 マネジャーが長続きしなくて。私がほら、いじるから(笑)。あの頃、渡辺プロは大卒を入れてたので、「大学を出たからって、何の役にも立たない」なんて。だから、マネジャーが次々辞めて、ついに一回りしちゃった(笑)。
阿木 一回りとは、ずいぶん(笑)。
中尾 もう誰も居なくなって、「お前、自分でやれ」って。
阿木 きっと、ミエさんのおっしゃることは、間違えてなかった。 そうでないと、この業界にこんなに長く居られない。
中尾 若い頃、よく言われました。「お前の言っていることは正論だけど、それだけでは通用しない時もあるんだ」って。
阿木 どこの世界でも同じだと思いますが、とくにこの業界は礼儀正しさが求められるし、人間好きじゃないとやっていけませんよね。
中尾 結局、人間関係ですものね。
阿木 もともとミエさんは人間好きでいらっしゃる?
中尾 まぁ、そうなんですけど。案外、人見知りするほうかも。
阿木 じゃ、この人と合いそうだなというのは、どういうところで判断するんですか?
中尾 あまり考えたことはないんですけど、直感ですかね。
阿木 例えば新幹線で瀬戸内寂聴さんとお会いになって、直接お声をお掛けになって、お話をなさったとか。以前から面識がお有りだったんですか?