阿木燿子の艶もたけなわ/246
「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠さん。1978年のデビュー以来、約40年間、ロック界を牽引。現在も楽曲制作、ライブ、ふるさと大使と、精力的に活動を続けています。学生時代に出会ったローリング・ストーンズへの熱き思いを、今は亡きパートナーのエピソードとともにお話しいただきました。
◇この世を去ったけど、シーナは永遠に「シーナ&ロケッツ」のメンバー。
◇ロックって、ひとつの音楽の形態というだけではない。生き様そのものなんですね。
◇ロックは自分が喜ぶ音楽。怖いもの知らずになった自分をトコトン楽しめばいい。
阿木 そのセーター、ベロマークですよね。やはり着ていらっしゃるんですね。
鮎川 今、TOC五反田メッセで開催中の「ザ・ローリング・ストーンズ展」のアンバサダーなもので。
阿木 手元のプレスリリースによると「バンド自身がプロデュースした大規模な世界巡回展」とありますが、ストーンズ展のアンバサダーに鮎川さんはぴったり。
鮎川 いつも懇意にしているストーンズ好きの友人から頼まれたんです。で、記者発表の会場に行ったら、ギタリストのCharが居て、ドラマーのシシド・カフカさんが居て。その場で3人がそれぞれストーンズへの思いを語ったんです。僕は「彼らのステージは最高ということを、若い人に伝えたい」と言ったんだけど。
阿木 鮎川さんのストーンズに対する思い入れは半端じゃない。
鮎川 「僕、アンバサダーしよるけんの」と周りのみんなに言って、もう凄(すご)く威張っとる(笑)。
阿木 鮎川さんがストーンズのファンになったきっかけって?
鮎川 もともと僕は、九州の田舎に住んでいたんです。高校1年生の時、最初にFEN(注1)で聴いたのがビートルズやったんです。音楽を吸収したいカラカラのスポンジみたいな頃に出会ったので、もっと知りたい、もっと聴きたい、といった感じやったね。高校3年の時にはビートルズが来日し、日本中、大騒ぎになって。僕の周りもバンドやりたい奴(やつ)が増えて、気が付いたらいつの間にか、一緒にやっちょるって感じやった。その後にストーンズに出会ったんやけど、ビートルズの完成された音に対して、ストーンズは粗削りで、それがあの時の僕にはしっくりきて。
阿木 確かに当時からビートルズは音楽的で、アカデミックな感じがしましたよね。それに比べてストーンズは不良少年の集まりみたいな雰囲気があった。
鮎川 対外的には悪く気取るというか、ファンに対しても行儀が悪い。でも、そういうところがピンと来たんです。ロックという音楽に誠実な人達やなと。彼らは自分達が尊敬しているアメリカの黒人音楽をもの凄く大事にして演奏している。それもコピーじゃなくて、自分達のものにしている。キース・リチャーズのギターがめちゃカッコ良くて、心を鷲掴(わしづか)みにされました。
阿木 じゃ、その頃から、もうストーンズの虜(とりこ)に?
鮎川 そうやね。ファーストアルバムを聴いた時に、人生の入り口を見つけたというか。それから僕の音楽の旅が始まったんです。
阿木 筋金入りのファンですね(笑)。
鮎川 僕、彼らと出会って、本当に救われたというか。中学に入ると、みんなと並んで「礼」と号令を掛けられて、お辞儀しなくちゃいけないみたいなことになって、それが凄く嫌で。そんな頃、こんな自由な音楽があるんだと思って、解放された気持ちになった。ロックってバラバラやないですか。譜面通りにやる音楽じゃないから、みんな、自分の音楽しよる。
阿木 ミュージシャン同士、顔を見合わせて「せーの」って。
鮎川 それで、「お前がそうドラムを叩(たた)くなら、俺はこうギターを弾くぜ」みたいな。そんな音楽に出会ったら、社会の決め事の中で生きるのが堅苦しく思えて。そうこうしているうちに、シーナと出会って二人で暮らし始めたんです。そうなったら「二人の世界で最高!」って感じでしたね。
阿木 シーナさんとは、博多で出会われたんですよね。
鮎川 僕は博多のダンスホールで演奏しよって。そこにシーナが入ってきたんです。凄くカッコいい女の人が来たなって。でも、その時、シーナはまだ高校3年生。
阿木 一目惚(ぼ)れ?
鮎川 そう、まさにそれで、見た瞬間に、いいなと思った。
阿木 シーナさんも同じように感じられて、声を掛けてきた。
鮎川 確かに、カッコ良かね、と、そう言いおった。僕、そげんなこと、言われたことなかったからね(笑)。
阿木 でも鮎川さんはモテたでしょう? 絶対モテたと思うけど(笑)。で、お二人はその日のうちに意気投合なさったとか?
鮎川 『ミュージック・ライフ』みたいな音楽雑誌を見ると、ロックスターもカッコいいけど、彼らの彼女もカッコいい。だから、そういうのに憧れていて。こんな女性と一生おりたいと出会った瞬間に、そう思った。
阿木 現実にそれから44年間、二人はご一緒に居たわけですよね。本当に運命の出会いだった。
鮎川 シーナは本当、僕の分身やったね。長く一緒に暮らしとったから、言葉は要らなくて、すべては阿吽(あうん)の呼吸でやれとった。
阿木 そんなお二人の間で、シーナさんが歌いたい、とおっしゃった時は?
鮎川 僕らオリジナルを作りおったから、最初にシーナに聴いてもらうんです。僕の頭の中ではバンドは別もので、シーナとやるとは思ってもみなかった。けど、シーナに「私、歌いたい、自分のレコードを聴きたい」と言われた時、そうか、それも有りだなと、ごく自然に受け止めましたね。
阿木 シーナさんは、「自分のレコードを聴きたい」と?
鮎川 そう、僕達、レコードが大好きで、オーティス・レディングとかレッド・ツェッペリンとか聴きおってたから、シーナの気持ちがよく分かったんです。で、それやったらバンドをするにも最高の相棒やなと思ったしね。上手(うま)いとか下手とか関係ない。自分の音楽を一番分かってくれる人と一緒にやるのが、最高やなと。
阿木 それまでのバンド「サンハウス」は男性ばかりですよね。
鮎川 そう、ブルースバンドだし、強面(こわもて)だし、無愛想だし、女性が入るようなバンドじゃないと最初、思ってたんです。でもシーナに言われて、それも有りやなと。
阿木 そのシーナさんの一言で、二人の運命は大きく開いた。何という良妻(笑)。