サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年3月10日号
石橋凌 俳優・ミュージシャン
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阿木燿子の艶もたけなわ/242

1970年代後半、ロックバンドARBのボーカリストとして若者から圧倒的な支持を得、その後は俳優に転身した石橋凌さん。きっかけは故・松田優作さんでした。役者としての活動とともに、17年前からはソロ活動も開始。歌への情熱も今なお
盛ん。デビュー40周年に懸ける意気込みをはじめ、松田優作さんとの思い出などをじっくり伺いました。

◇俳優の基礎は、すべて優作さんが作ってくださったと言っても過言じゃない。

◇子供の頃の夢は、映画評論家になることで、淀川長治さんに憧れていらしたとか?

◇子供心に、映画を観て一生暮らせたらいいなと思ってましたね。

石橋 宇崎(竜童)さん、お元気ですか?

阿木 ありがとうございます。主人も寄る年波でいろいろありますが、元気にしております。

石橋 ずいぶん宇崎さんともお目にかかっていなくて。(原田)芳雄さんの追悼コンサートの時以来でしょうか?

阿木 芳雄さんが亡くなられて、もう8年ですよね。(松田)優作さんでどのくらい?

石橋 今年で30年になります。

阿木 石橋さんとは私、優作さんが監督をなさった映画「ア・ホーマンス」でご一緒したんですよね。

石橋 あの映画、優作さんの初監督作品で、僕は優作さんから直々(じきじき)に声を掛けてもらったんです。

阿木 私、最初に台本を頂いた時、主人公の優作さんを巡る女性の一人の役だったんです。だから、そのつもりで現場に入ったんですけど、あの作品、途中で監督が降板して、優作さんに代わられたでしょう。そしたら木の下で私の膝枕で眠るというシーンが追加になって。その時、優作さんが私を「ママ」とお呼びになったので、びっくりしちゃって。「えッ、私、優作さんのお母さん役だったんだ」って(笑)。

石橋 多分、優作さんの意図としては、あの木は菩提(ぼだい)樹で、阿木さんは主人公を大きく包み込む聖母の役。

阿木 えーッ、そうだったんですか? 30年以上経(た)って、初めて知りました。私としたことが何という、うっかり(笑)。うっかりといえば私、台本の読みが甘いものだから、主人公が撃たれても撃たれても死なないので、凄(すご)くタフだなと思っていたら、主人公はサイボーグ。それも後から知って(笑)。それにしても松田監督は凄いオーラでしたね。ある日、撮影所に行ったら「松田組」というふうに変わっていて、突然、現場の雰囲気がピリッと締まった。

石橋 いい意味での、緊張感がありましたよね。

阿木 私、今でも不思議なんですけど、優作さんって、結構なエスパーで、自由自在に風を吹かせたりしていたでしょう?

石橋 そうです。そういえば優作さんの役は「風(ふう)」という名前でした。ある時、僕がバーの女性のアパートに行ったら、そこに主人公がいたというシーンがあったんです。画(え)として風が欲しいところが、なかなか思うように吹いてくれない。優作さんが「ちょっと待ってろ」と言って、木の下で瞑想(めいそう)めいたことをなさったんです。そしたら風が吹いて「今だ、カメラを回せ」って。

阿木 私も似たような経験をしました。そういう意味でも強烈なカリスマ性がお有りでしたよね。

石橋 晩年、優作さんは座禅道場に通われていたんです。「お前もやれよ」と僕も誘われたんですけど、「抹香臭いのは苦手です」って、お断りしてて。でも、亡くなられた後、心を静めたくて通うようになったんです。僕、ある時、座禅を教えてくださる先生に「優作さんの早すぎる死は、どういうことなのでしょう」とお尋ねしたんです。そうしたら「あの方の魂は前世で何回も戦いを経験しています。ある時はヨーロッパで中世のナイト、ある時は日本の侍。いつも戦う人で生きてきた。今回は俳優としてまっとうされました」とおっしゃって。確か、阿木さんとの菩提樹のシーンでは「あなたは戦う戦士」という科白(せりふ)があったと思うんですが。

阿木 凄い! 私よりよく覚えていらっしゃる(笑)。なるほど、そういう意味の「ママ」だったんですね。

石橋 スナックのママじゃありませんよ(笑)。

阿木 今更ながら、ジグソーパズルのピースがはまった気がします。それにしても、優作さんと石橋さんって、よほど縁が深かったんですね。最初は主人が率いていた「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の初代ドラマーの相原誠さんがきっかけだったとか?

石橋 そうなんです。僕が「ARB」というバンドで歌っていた頃、相原さんの紹介で優作さんと出会ったんです。スポーツジムのプールでしたが、出会い頭に僕は運命的なものを感じて。その後、芳雄さんのお宅で再会しました。ちょうど僕、バンド活動に限界を感じていた時期だったので、図々(ずうずう)しくも「今度、相談に乗ってください」とお願いして。後日、家をお訪ねした時には、優作さんから「音楽にこだわらずに、活動のフィールドを映像のほうに広げてもいいんじゃないか」というアドバイスを頂きました。

阿木 それが「ア・ホーマンス」で「映画に出てみないか」というふうにつながった。

石橋 「お前はどうせできないんだから、芝居をしなくてもいい。お前が培ってきたミュージシャンとしての感性や生理みたいなものを、俺が現場で拾うから」って。それで、踏み切れたというか。

阿木 でも、いざ現場に入ったら、優作さんは妥協を許さない方だから。

石橋 そうなんです。ただ歩くだけのシーンで、なかなかOKを出してもらえなかったり。

阿木 そういうの、結構めげますよね。

石橋 ジュラルミンケースを持って7、8歩、歩くだけのシーンだったんですが、NG続きで。で、お聞きしたんです。「どこがいけないんでしょうか」と。

阿木 そうしたら?

石橋 「お前、自分で気づかないか? 今の歩き方は、十何年、バンドマンとして生きてきたお前の歩き方だ。役のやくざの若頭の歩き方になっていない」って。

阿木 映画に誘ってくださった時は、「ミュージシャンのままでいい」とおっしゃったのにね(笑)。

石橋 その言葉が喉まで出かかったんですけど、グッとのみ込みました。言ったら絶対、ぶん殴られると思ったので(笑)。

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