サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年3月 3日号
京本政樹 俳優
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阿木燿子の艶もたけなわ/241

1980年代、時代劇「必殺仕事人V」の組紐屋の竜役でお茶の間の人気となった京本政樹さん。俳優だけでなく、ミュージシャンとしても確固たる地位を築き、現在はバラエティー番組で柳沢慎吾さんとのコンビも人気です。近く公開される映画「翔んで埼玉」では謎の伝説の男役を演じます。"元祖ビジュアル系男子"の実相に阿木さんが迫ります。

◇「銭形平次」で大川橋蔵さんから時代劇の所作をいろいろ教わったんです。

◇映画「翔んで埼玉」で京本さんは埼玉県民を救うべく立ち上がった、伝説の男の役。

◇お話を頂いた後、ネットで検索してみたら、原作には僕の役の絵は無かったんです。

阿木 京本さんって、1日1食しか召し上がらないんですって?

京本 夕食のみですね。僕、夕方の6時ごろ、食べるのがベストなんです。なので、お昼のロケ弁なんかは手を付けません。

阿木 それでよく体が持ちますね。

京本 腹八分とはよく言ったもので、そこで終わっている時は幸福感に満たされるんですが、120%になっちゃうと、もう苦しくて。

阿木 それで若い頃の体形を維持していらっしゃるんですね。間もなく公開される映画「翔んで埼玉」でもスリムな体形と、切れ味のいいアクションを披露なさっていらっしゃいますが、あの"埼玉デューク"の役は、京本さんにぴったり! この作品は同名の漫画が原作なんですよね。それにしても、「実際の地名とは関係ありません」と断りは入っていますが、埼玉県民をかなりパロっている。私、作品を拝見しながら、埼玉県民からクレームがこないか、ちょっと心配になりました。京本さんは埼玉県民を救うべく立ち上がった、伝説の男の役。

京本 漫画自体は36~37年前に連載されていたものらしくて。でも、その頃、僕は「必殺仕事人V」をやっていて忙しかったので、リアルタイムでは読んでいないんです。お話を頂いた後、ネットで検索してみたら、原作には僕の役の絵は無かったんです。

阿木 え? 原作には出てこない役?

京本 埼玉デュークという名前は出てくるんですけど、ただGACKT(ガクト)君扮(ふん)する麗という主人公を彷彿(ほうふつ)させる男が20年前に居て、生きていれば顔に傷があって......という設定。で、台本を読んだ時、演じるなら銀髪のかつらを被(かぶ)るしかないな、と思ったんです。この役にはある種の風格が必要だし、仙人感みたいなものも出さなくちゃいけないので。また、GACKT君は黒ずくめの洋風な装いで出てくるので、僕は白ベースの和のテイストでやろう、と考えたんです。

阿木 "伝説の人"という、この世離れした役に、京本さんは本当にぴったり(笑)。それはGACKTさんも同じで。

京本 実は今回が初めての共演なんですが、僕、GACKT君とは仲良くさせて貰(もら)っているんです。

阿木 お二人は"美しい"というところでも共通点が。

京本 ただGACKT君は僕より14歳若いんです。だから僕が中学2年生の時に生まれたわけで(笑)。僕が「必殺」を演(や)っていた時、彼は12歳くらいで、多分観ていてくれていたと思うんですが、寡黙な役が多いのも、似ているかもしれません。

阿木 でも、実際こうしてお目にかかると......(笑)。

京本 違うでしょう? "見てくれの良い柳沢慎吾"と自分でも言っています(笑)。

阿木 加えてGACKTさんとの基本的な共通点は、音楽がお仕事のベースというところですよね。

京本 確かにアーティスティックな部分はつながっていると思いますが、ただ方向性は違います。

阿木 京本さんは「必殺」の劇伴(注1)も手掛けられたとか?

京本 そうですね。僕はビジュアル系の元祖みたいな言われ方をしていますが、この世界に入った当初はそういう志向はまったくなくて。もともとシンガー・ソングライターを目指していたんです。

阿木 井上陽水さんのファンでいらしたとか?

京本 陽水さんに憧れて作詞作曲をして、バンド仲間とポプコン(注2)に応募しました。その音源を聴いたCBSソニーから「ウチに来て勉強してみないか」と連絡があったんです。

阿木 それはジャニーズ事務所から声を掛けられる前ですか?

京本 後ですね。ジャニーズ事務所は、クラスメートが僕に無断で、僕の写真を送ったのがきっかけなんです。で、ジャニー喜多川さんから直接電話がかかってきて、「会いたい」って。ただアイドルは僕の中で想定外だったので戸惑っていたところ、歌の話が舞い込んできたんです。正確に言うと、山口百恵さんや郷ひろみさんを手掛けていらっしゃったプロデューサーの酒井政利さんが僕の曲を評価してくださって、大阪に住んでいた僕に連絡をくれたんです。それでシンガー・ソングライターの勉強をしようと思い、上京したというわけなんです。

阿木 その頃ですね。百恵さんや郷さんのレコーディングの際にお茶汲(く)みをしていたというのは。じゃ、私とも会っていたり?

京本 お会いしています。僕は17か18歳で。百恵ちゃんは年が近かったものだから、気さくに話し掛けてくれました。

阿木 では歌の方が最初だったんですね。それがどこでお芝居の方へ?

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