サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2019年2月10日号
奥田瑛二 俳優・映画監督
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阿木燿子の艶もたけなわ/238

沖縄・粟国島(あぐにじま)を舞台に、死者の骨を洗う神秘的な風習をテーマとし、壊れかけた家族の絆の再生を描いた映画「洗骨(せんこつ)」。この作品で、妻を亡くし、生きる希望を見いだせない駄目な父親役を演じた奥田瑛二さん。この映画の撮影エピソードから、先輩俳優・津川雅彦さんや緒形拳さんの思い出、さらにご家族のお話など盛りだくさんに伺いました。

◇僕の人生は波瀾万丈だけど、いい出会いに恵まれましたね。

◇日本映画を取り巻く環境で思うことは、観客が育っていないなと。とても幼いというか。

◇本を読めないのと一緒で、映画を観る能力指数が落ちているんだと思います。

阿木 奥田さんとこうして、きちんとした形でお会いするのは、初めてですよね。

奥田 そうですね。昔は飲み屋で、時折すれ違ったりしてね。

阿木 後は去年、亡くなられた俳優の津川雅彦さんが招いてくださるお食事会。私と主人(宇崎竜童氏)は津川さんに御馳走(ごちそう)になるばかりで、何の恩返しもできなかったのですが。津川さんと朝丘雪路さんの合同の「お別れ会」の時の奥田さんの弔辞、とても胸に沁(し)みました。深い信頼関係がないと言えない言葉だなと思って。あの時、奥田さん、津川さんの声音を真似(まね)てお話しなさったでしょう?それが凄(すご)く似ていて。

奥田 僕はテレビのワイドショー的な番組をほぼ見ないのですが、それというのも、まぁ、昔、僕はいろいろありまして。その都度、取り上げられて苦手になっちゃったんですけど(笑)。あるテレビのコメンテーターが、まるで津川さんが降りてきたようだった、と言ってたみたいで。でも、本気になって物真似をしたら、あんなもんじゃないです。4割増しにはできますね。

阿木 それだけお付き合いが長いってことですよね。「お別れ会」は去年11月の末なので、実際に亡くなられてから4カ月近く経(た)っていたはずですけど、あの時点で、「僕はまだ一度も泣いていません」とおっしゃってましたよね。その後、涙は出ましたか?

奥田 津川さんの場合、あまりに突然だったもので、実感がまったく湧かなくて。あの人が死んだことを僕自身、認められなかったというか。だから四十九日にも涙が出なかったんです。ただ、一人で酒を飲んでいた時に「あぁ、そうか、死んで生きてるんだ、あの人は」と思った瞬間があって。それで、急にいろいろ思い出しちゃって。「なぁ、奥田、俺、最近疲れちゃってさ。疲れが取れる何かないかな」ってあの人に言われて。「マッサージを呼ぶとか?」って答えたら、「あのさ、世間じゃ合コンというのが流行(はや)ってるらしいじゃないか」って。

阿木 そんな時に、女性の話が出るなんて、津川さんらしい(笑)。

奥田 「分かりました。飛びきりの女性を手配しましょう」って僕がフィクサーをやったわけ。それで大学のミスキャンパスを呼んだり。

阿木 突然言われて、そんな美女を集められるなんて、さすが奥田さんですね(笑)。

奥田 僕はフィクサーだから(笑)。でも、そういうことを思い出したら急に泣けてきて。その時の津川さんの表情が浮かんできて。

阿木 それはいつのこと?

奥田 「送る会」の次の日ですね。

阿木 良かったですね、涙が流せて。津川さんの時とは対照的に、緒形拳さんが亡くなられた時は、号泣なさったんでしょう?

奥田 そうなんです。あの時は脚本家の倉本聰さんから電話が掛かってきて、「奥田君さ、緒形さんは元気かなぁ? 亡くなったという噂(うわさ)があるんだけど」と言われてびっくりして、ご自宅に電話したの。そしたら奥様が出られて「ええ、今ちょうど、主人をお寺さんの方に運んでいる最中なんです」って。それを聞いて、倉本さんに折り返し電話をしたんだけど、もうその時から泣いてしまい......。で、寺に着いたら津川さんが居て。津川さんは緒形さんの親友で、看取(みと)った人だから、「お前も会ってこいよ」と言われて、緒形さんの顔を見たら、もうグググという慟哭(どうこく)の泣き方。芝居でもやったことがないくらい涙が出て。後から津川さんに「お前が泣き虫なのは知っていたけど、あんなに泣いたのは初めて見た」と言われましたね。

阿木 それにしても緒形さんといい、津川さんといい、奥田さんは素敵(すてき)な先輩と巡り合っていらっしゃる。お二人とも俳優さんとしても人間としても、素晴らしい方で。

奥田 そうやって考えると、僕の人生は波瀾(はらん)万丈だけど、いい出会いに恵まれましたね。

阿木 きっと、それはお二人にしても同じ思いで、奥田さんは先輩孝行ですよね。奥田さんが監督なさった「長い散歩」では、緒形さんが主演。それで、「モントリオール世界映画祭」グランプリをプレゼントできたし、津川さんもお嬢さんの桃子さんが監督なさった映画「0・5ミリ」で報知映画賞の助演男優賞をお取りになった。

奥田 「長い散歩」がクランクアップした時、緒形さんと二人で抱き合ったんです。津川さんの時もクランクアップの日は、胸に熱く迫るものがありましたしね。映画を作るのって、命懸けなんです。とくにウチみたいな独立プロの場合は、なおさらで。

阿木 資金調達から考えたら、クランクアップまで、山あり谷ありですよね。

奥田 そんな中、心から付き合ってくれて、出演してくれて。めちゃくちゃ恩に感じるというか、感謝ですよね。

阿木 「長い散歩」は本当に素晴らしい作品で、日本では緒形さんみたいな素敵なベテランの俳優さんを、さらにチャーミングに見せる映画って、そうそうないでしょう? で、今回は奥田さんが俳優としてご出演なさった「洗骨」を観させて頂いたら、「長い散歩」を観た時と同じような感動があって、どこか相通じるものがあるなと。

奥田 僕は照屋年之監督が日大芸術学部で映画を学んで、ショートフィルムを撮っていた頃から、その評判は知っていたので、長編を撮っても、それなりのモノは撮るだろうとは思っていたんです。それでオファーを頂いた時、「何で僕なんですか?」と喫茶店で聞いたんです。そしたら「奥田さんの目です」って。役者って"目"と言われると弱いんです。加えて彼が「目の奥の目です」って言うわけです。それで「分かった」と引き受ける気になりまして。で、家に帰ってもう一度、台本をじっくり読んだら「こりゃ、大変だな」と思ったんです。これは下手に役作りをしても駄目そうな作品なので、役が向こうから入ってくれないかなと。そのためにはどうすればいいかって考えて、普段そんなことはしないのですが、主人公の亡くなった奥さん役の女優さんの写真を貰(もら)ったんです。それで彼女といくつで出会ったのかとか、子供ができた時はどうだったのかなんてことを、いろいろイメージして現場に行ったわけです。でも沖縄に着いた途端、沖縄の太陽と風に同化して、もう役は自分の中でできているなと感じて。それで初日に臨んだら、照屋監督が「あ、今、奥田瑛二さんが出ました。カッコ良すぎです」と言われて思い出したの。「長い散歩」の時、僕も同じことを緒形さんに言っていたことをです。「緒形さん、今、テレビでのあの役が出てましたよ」と。そしたら睨(にら)まれて(笑)。でも僕、「何もしなくてもいいと思います」と、耳元で囁(ささや)いたんです。あの時と同じだと思ったら、肩の力が抜けていきました。

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