サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2018年10月14日号
浅田美代子 女優
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阿木燿子の艶もたけなわ/222

1973年、テレビドラマでデビュー以降、一躍人気アイドルの仲間入りを果たした浅田美代子さん。現在も女優として活躍中で、その礎を築いてくれたのは、今は亡き樹木希林さん。樹木さんがお亡くなりになる約1カ月前に行われた対談は、樹木さんとの思い出をはじめ、現在熱心に活動している動物愛護の活動など盛りだくさんに伺いました。

◇動物の命を売り買いすることが恥ずかしいという認識に早くなってほしい。

◇美代ちゃんのマンションは、樹木希林さんのアドバイスでお買いになったとか。

◇「お母さんだって成仏できない。引っ越しなさい」って、物件を探してくれたんです。

浅田 阿木さんにお目にかかるのは、本当に久しぶりですよね。私、還暦を過ぎちゃいました。

阿木 えっ?そうなんですか?でも、時間って不思議ですね。伸び縮みするのね。会った瞬間、昔に戻っている。今日も美代ちゃんって呼ばせて頂いていいかしら?

浅田 もちろんです。私、ここまできたら、死ぬまで"美代ちゃん"って言ってもらいたいなって。

阿木 "浅田さん"と呼ばれることは?

浅田 初対面でそう呼ばれても、だんだん美代ちゃんに変わりますね。

阿木 思えば"美代ちゃん"をこの世に送り出したのは、演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さん。久世さん、結構早く亡くなられて。

浅田 70歳ちょうどで。うちの母が70歳で亡くなった時に、久世さんが「早いよな、70じゃ」っておっしゃったのを覚えているんです。で、その年にご自分も。

阿木 確か美代ちゃんのお母様が旅立たれたのは2001年、同じ年に私も妹を失って。

浅田 同じ年って阿木さん、双子ちゃんだったんですか?

阿木 いえ、4歳下で。もうこの発言だけで、天然っぽい(笑)。妹を亡くした時の喪失感が大きくて。私と美代ちゃん、同じような時期に辛(つら)い思いをしていたんだなと。

浅田 同じ年を同い年と勘違いしちゃった(笑)。失礼しました。

阿木 やっぱり天然(笑)。また久世さんの話に戻りますけど、「時間ですよ」のオーディションを受けるまでは、お芝居の経験とかは、まったくなかったんでしょう?

浅田 もう全然。撮影前に、私の役がお手伝いさんだったので、芝居の稽古(けいこ)と称して、ただひたすら雑巾掛けをさせられました。廊下みたいなところを、タッタッタッタって。私としては、ええッ? って感じで(笑)。

阿木 久世さんの演出って、リアリティーを凄(すご)く大事になさるから(笑)。

浅田 それで、よく怒られました。

阿木 「時間ですよ」のオーディションは2万5000人の応募があったんでしょう? ただ美代ちゃんが当時通っていた学校が、東京でも有名なお嬢様学校。

浅田 私、街でスカウトされたんです。でも、その時点では高校生だったし、親は大反対で。その事務所から「時間ですよ」のオーディションがあるけど、と言われた時、親は絶対、受かるはずがないと思っていたので、落ちたら二度とそんなことを言うなって。でも、結果、受かっちゃったのでもう親子共々、びっくり。翌日、新聞にも載っちゃったし。

阿木 良い意味での「ウチの子に限って、まさか」のケース(笑)。

浅田 通っていた高校は芸能活動をしたら即退学なので、その日のうちに、自主退学の手続きを取ったんです。

阿木 転校という選択肢は考えなかったの?

浅田 芸能活動に理解がある学校に移るという方法もありましたけど、ちゃんと通えないのに、籍だけ置いておくのもなって。親が入れたかった学校で、せめて最終学歴はと。

阿木 学校を辞めるには、かなり決心が要ったんじゃない?

浅田 そうですね。結果、たった1日で人生が大きく変わっちゃって。次の日からは別の世界。あとは無我夢中という感じですよね。

阿木 「時間ですよ」は大変な高視聴率番組で、出演者は堺正章さん、森光子さん、樹木希林さんと、もう芸達者揃(ぞろ)い。その中にポンと素人の女の子が放り込まれた。

浅田 大変でしたね、怒られて。アルミの円盤みたいな灰皿があるじゃないですか。あれがビュンビュン飛んでくるんです。久世さんが稽古中に、「何度言ったら分かるんだ」って。

阿木 久世さんにしたら、親心だったんでしょうね。この世界に入ったからには、しっかりやれと。

浅田 でも考えれば、とても丁寧に教えてもらったなと思います。今は時間も予算もないし、新人さんはそこまで、手を掛けてもらえませんよね。

阿木 並み居る芸達者の中でも、希林さんは別格。出ていらっしゃるだけで目が釘(くぎ)付けになりました。

浅田 だって希林さんがあのおばあさんをやったのは30歳だったんですよ。髪を白く染め、手には、今流行(はや)りのDAIGOさんみたいな手袋をして、首にはスカーフを巻いて、意外と、と言っては失礼なんですが、スタイルが良いので、それを隠すために長い割烹(かっぽう)着を着て。

阿木 ちゃんと、おばあさんに見えましたよね。希林さんって、人間観察に長(た)けていらっしゃるんでしょうね。

浅田 本当、そうですね。

阿木 先日、テレビを観ていたら美代ちゃんのお住まいが紹介されていて。あのマンションは、希林さんのアドバイスでお買いになったとか。希林さんて、不動産にも強いでしょう?

浅田 とにかくお好きですよね。私のことを心配して、買った方がいいって勧めてくれたんです。私、子供が居ないので一生賃貸で構わないと思ってたんですけど、希林さんに「アンタね、60過ぎたら、誰も部屋を貸してくれなくなるわよ」と言われて。ちょうど母が亡くなって間なしの頃だったので、母の部屋に入ると涙が出ちゃって、整理もできない。「そんなことじゃ、お母さんだって成仏できないわよ。引っ越しなさい」って、精力的に物件を探してくれたんです。

阿木 普通、人はなかなかそこまでは、心配してくれませんよね。

浅田 親だったら逆に言うことを聞かなかったかもしれませんね。「放っといてよ」とか言って。

阿木 引っ越したことで、いろいろ吹っ切れた感じ?

浅田 気持ちが落ち着いたというか。車とか宝石とかブランドの服とかに、以前はこだわっていた気がするんですけど、そういうのが要らなくなって。きっと根っこができたんでしょうね。

阿木 もともと美代ちゃんは、お母さん子だったんですよね。そのお母様は吉田拓郎さんとの結婚を、諸手(もろて)を挙げて賛成というわけではなかったとか?

浅田 そうですね。でも、私の性格をよく分かっていたから、ここで止めても駄目だろうな、と思っていたみたいですね。

阿木 拓郎さんとの出会いを、ちょっと聞いてもいい?

浅田 最初はラジオの仕事で会ったんです。当時、拓郎さんは南沙織さんと知り合いで、彼女から私の電話番号を聞いたらしくて。

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