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2024年12月 1日号
26年ぶりベイスターズ日本一 球団売却危機もあったDeNA
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 横浜DNAベイスターズが、「SMBC日本シリーズ2024」で福岡ソフトバンクホークスを降し、1998年以来26年ぶりとなる日本一を決めた。レギュラーシーズン3位から日本一になる「下克上」。横浜に歓喜の嵐が起こった。

 南場智子オーナー(DNA会長)は、「おかげさまでございます。生きててよかったなと思いました。横浜、神奈川、全国の横浜DNAベイスターズファンに恩返しが少しできたかなという気持ちで、それが一番うれしかったです」とコメントした。

 経団連初の女性副会長も務め、日本を代表する経営者になった南場氏が、それほどベイスターズの日本一に感激ひとしおなのは、苦しかった過去の思い出があるからだ。「一時、南場氏はベイスターズを手放すことを真剣に考えた時期があった」(取引先メガバンク幹部)という。

 時は20203月期にさかのぼる。DNA05年に上場して以来、初めて491億円の最終赤字に転落。ゲーム事業にかかる資産を中心に減損損失を約500億円計上したことが主因で、責任をとって南場氏は月額報酬の50%を3カ月減額した。

 DNAはガラケー時代には、利用者とゲームの仲介役である「モバゲー」がヒットし急成長を遂げた。しかし、この成功体験が徒(あだ)となり、スマートフォンゲームへの転換に出遅れた。DNAはゲーム事業のほか、スポーツ、オートモーティブ、ヘルスケアなど多様な事業を持つが、「当時、オートモーティブ事業は53億円の累積営業損失を抱え、収益化が期待された配車アプリ(MOV(モブ))は日本交通ホールディングスと事業統合し連結から外れた。ヘルスケアでは遺伝子検査サービスに進出したものの、赤字が続いていた。その他新規事業も累計で84億円の損失を抱えていた。唯一収益に貢献していたのはプロ野球・横浜DNAベイスターズくらい」(前出・メガバンク幹部)という状況だった。市場ではベイスターズ売却の可能性が囁(ささや)かれていた。

 この危機を救ったのが、214月に守安功氏の後を受けて社長に就いた岡村信悟氏だ。東大出身の岡村氏は1995年に郵政省(現総務省)に入省。2006年に発足した第1次安倍内閣では官邸スタッフとなり、広報担当であった世耕弘成首相補佐官に仕えた。

 164月にDNAに入社。横浜スタジアム社長、半年後に横浜DNAベイスターズ社長となるなどスポーツ事業に携わった。

 岡村社長の手腕もあり、ベイスターズは19年シーズンの観客動員数が過去最多を記録。グループの収益を支えた。岡村社長は116日の決算発表(253月期中間期)で、「ベイスターズを運営していつの間にか13年と長くたったが、日本シリーズで優勝した。(業績の)数値へのインパクトはまだお答えできないが、しっかり期待はしていきたい。一方で(年俸など)優勝に伴うコストもあるので、そのあたりはしっかり見ていきたい」と振り返った。

 26年ぶりの日本一に輝いたベイスターズ。DNAの宝として、更なる飛躍が期待される。

(森岡英樹)

 ◇もりおか・ひでき

 1957年生まれ。経済ジャーナリスト。早稲田大卒業後、経済紙記者、米コンサルタント会社を経て、2004年に独立

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