昭和の歌姫と呼ばれる中森明菜(58)がYouTubeでセルフカバー曲を続々と公開して6年半ぶりの完全復活が近づいている。もう一人の昭和の歌姫、ちあきなおみ(76)の復帰を望む声は、実は30年以上も続いている。
「ちあきは1992年に最愛の夫、郷鍈治さん(享年55)が肺がんで他界した後、芸能活動を休止し、マスコミの前から姿を消しました。引退を発表したわけではありませんから、今も復帰を望む声はやまないのです」(音楽ライター)
ちあきは、69年に21歳で日本コロムビアからデビューし、70年に「四つのお願い」が大ヒット。その年の「NHK紅白歌合戦」に初出場した。以来、音楽番組に引っ張りだこになったが、ちあきは幼いころから波瀾(はらん)万丈な人生を送っていた。
「当時、人気音楽番組だったフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』で、歌手本人に内緒でゆかりのある人がスタジオに登場する〝ご対面コーナー〟という人気企画がありました。ちあきの場合は父親だった。対面相手を知ると、ちあきは会うのを拒絶したのです」(元放送ライター)
筆者は、ちあきの幼少期時代を取材したことがあるが、父親については悪評しか聞こえてこなかった。父親と対面拒否した理由がうかがいしれた。
「ヒットを飛ばしたちあきですが、72年には『喝采』で日本レコード大賞を受賞。78年には俳優の宍戸錠(享年86=2020年)の実弟、郷鍈治さんと結婚した。その後、ちあきは所属のコロムビアから契約解除されてしまったのです」(音楽関係者)
コロムビアの元社員は「契約解除の理由は、ちあきが〝自分が歌いたい曲を歌いたい〟と主張し、それが社の方針に反したというのですが、真相は違います。郷さんと結婚したことで、ちあきを寵愛(ちょうあい)していた音楽関係者の逆鱗(げきりん)に触れた。その関係者と昵懇(じっこん)の仲だった芸能界の実力者がレコード会社に圧力をかけたといわれています。契約解除は事実上、芸能界追放でした」と明かす。
その後、ちあきの才能を高く評価した音楽プロデューサーが復帰を画策。1980年に「アフリカのテーマ 風の大地の子守り唄」で復帰。88年にテイチクに移籍し「紅とんぼ」が大ヒットして紅白に返り咲いた。「ところが、92年9月11日に最愛の夫、郷鍈治さんが肺がんで死去し、芸能活動を休止。メディアからも姿を消しました」(前出の音楽ライター)
郷さんの月命日の9月11日には必ず東京都港区にあるお寺に墓参りするちあきの姿が目撃されている。だが、活動休止から33年目を迎えた今もファンの前に姿を現すことはない。
前出の元社員は「芸能界を干されたちあきが復帰したのは、郷さんがいたからです。彼を失って以来、芸能界への未練はなくなった。それに定期的(直近では3月にコンセプトアルバム『銀嶺』を発売)にリリースされるベスト盤やカラオケなどの歌唱印税やアパート収入が入ってくるので生活には困らない」と語る。
伝説の歌姫――。ちあきなおみの復帰をファンは待っている。
(本多圭)