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2023年11月26日号
スポーツ 「朝潮」の長岡末弘さんが死去 母校は13年ぶり「大学日本一」
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「大ちゃん」さようなら。大相撲の元大関・朝潮で先代高砂親方の長岡末弘さんが11月2日、小腸がんのため亡くなった。享年67。

 高知県室戸市出身。近畿大で2年連続の学生横綱とアマチュア横綱の2冠を果たす。幕下付け出しで高砂部屋から1978年春場所に「長岡」のしこ名で初土俵。強烈な立ち合いからのぶちかましや突き押しを武器に、幕下と十両をともに2場所で通過。前頭筆頭だった79年春場所から「朝汐」、82年九州場所から「朝潮」に改名。83年春場所後に大関に昇進し、85年春場所には幕内優勝した。体重186㌔の巨体に愛嬌(あいきょう)たっぷりの丸顔、陽気な性格から「大ちゃん」と親しまれた。

 師匠の元横綱・朝潮の高砂親方の厳しい指導の下、激しい突っ張りで「突貫小僧」の異名をとった富士櫻、米ハワイ出身の巨漢・高見山、さらに同じ高砂一門の横綱・千代の富士とも稽古(けいこ)を重ねて力をつけた。中でも幕内優勝24回を数えた横綱・北の湖には滅法(めっぽう)強かった。通算13勝7敗(不戦勝1を含む)。2人の対戦では自信満々の様子の朝潮と、対峙(たいじ)する「憎らしいほど強い」と言われた大横綱は蛇に睨(にら)まれたカエルのように見えたものだ。

 大関のままで89年春場所中に引退。親方としては90年に若松部屋を継承し、2002年には年寄「高砂」を襲名。モンゴル出身の朝青龍を横綱、近畿大の後輩の朝乃山を大関まで育てた。ただ、弟子のトラブルも多かった。

 朝青龍は07年夏に巡業の休場中にモンゴルでサッカーに興じたことで処分を受け、10年には暴行問題を起こして引退した。朝乃山も21年に日本相撲協会の新型コロナウイルス感染症対応ガイドラインに違反して処分され、参与になっていた自身の違反も発覚して協会を退職していた。

 ただ、どこか憎めなかった。サッカー騒動ではメンタルの不調を訴えた朝青龍の一時的な帰国療養が認められ、長岡さんは最初だけ同行した。療養先は温泉地だったが、長岡さんは帰国後の記者会見で「お肌、つるつる」と温泉の感想を述べて失笑を誘ったが、常にどこかユーモアがあった。そのサービス精神の源泉は「大阪の大学にいたから」とも話していた。

 そしてその「大阪の大学」、すなわち近畿大の後輩たちが今年はやった。11月5日に行われた全国学生相撲選手権の団体戦で13年ぶりの優勝を果たしたのだ。

 近畿大相撲部は3年前にも55歳の伊東勝人監督を亡くしている。稽古場には、長岡さんが近畿大で学生横綱、アマ横綱として活躍した時の写真が飾られている。三田大生主将以下、部員らは黙とうして大会に臨み、阿部智志監督は「伊東監督や長岡先輩、皆さんが力を与えてくれた」と感謝していた。

 長年連れ添った妻・恵さんは駆けつけた報道陣に「楽しい人でした」と話したという。時には空気を読めないこともあったが、多くの人々を楽しませ、愛された「大ちゃん」。天国では1年の出場停止をへて、前頭筆頭まで戻ってきた近畿大の後輩・朝乃山の大関復帰を楽しみにしているだろう。

(粟野仁雄)

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