社会人野球の最高峰・都市対抗野球で2回の優勝を誇る日産自動車野球部が神奈川県横須賀市を拠点に復活することになった。福岡県苅田(かんだ)町の九州工場を拠点にした日産自動車九州とともに、日産自動車本体が二つの野球部として活動を再開させる方針を固めた。日産野球部は2025年、日産九州は24年からの活動再開を目指す。
日産野球部は1959年に創部。当時も横須賀市を拠点として都市対抗は29回出場し、84年と98年に優勝。2005、06年には2年連続で準優勝している。日本選手権にも16回出場し、03年に優勝した。
日産本体は1999年にフランス・ルノーと資本提携し、社長にはカルロス・ゴーン氏が就いた。ゴーン氏は就任直後の同年都市対抗を観戦。「野球部が企業文化の一部だということは十分理解している」と語り、日産野球部の存続の危機は去ったかに思えた。しかし、2008年のリーマン・ショックをきっかけとした業績の低迷を受け、09年末には休部となった。
一方、コロナ禍前までは神奈川県内でOBらによる少年野球教室を継続していた。休部前の練習場だった横浜市のグラウンドは既に売却されている。そのため横須賀市の追浜(おっぱま)工場の敷地内に新球場を作り、新たな拠点とする方針だ。
日産九州は1985年に発足し、都市対抗に6回、日本選手権に9回出場している。活動休止後はクラブチーム「苅田ビクトリーズ」として再出発した。選手やスタッフはいるため、横須賀市の日産野球部より一足早く、来年から日産九州として活動する予定だ。
日産本体は今年2月、ルノーとの提携関係を見直し、互いに15%ずつ株を持ち合う形にすることで合意し、7月には対等な資本関係とすることで最終契約を結んだ。それまではルノーの日産への出資比率は43%で「不平等条約」「ルノー支配」とも言われた。一方、ゴーン氏は2018年に金融商品取引法違反容疑で逮捕・起訴されて失脚した。さらに、保釈中の19年12月にレバノンに逃走した。
ある経済ジャーナリストは野球部復活をこう見る。
「日産本体は国内メーカーでもEV(電気自動車)で先行しており、業績は好調です。加えて『コストカッター』と言われたゴーン氏が去り、ルノーとの関係も対等になり、いわば軛(くびき)がなくなった。野球部復活は名実ともに日産本体の自立、復活の象徴と言える出来事ではないでしょうか」
今夏の都市対抗は愛知県豊田市・トヨタ自動車が7年ぶり2回目の優勝を飾った。20年には埼玉県狭山市・ホンダ(来季からは東京都)も11年ぶり3回目の優勝を果たしており、近年は自動車勢の活躍が際立つ。
一方、「自動車勢同士の対決ほど胃が痛いものはない。決勝なんてなったら両方のトップ(社長や会長)が来るし。野球人生で一番、精神的にしんどかった」とは都市対抗で優勝経験のある元監督。ただ、苦節を味わったかつての名門の復活によって実現する「自動車対決」なら、日産に限らず自動車勢のライバルチーム、さらに社会人野球ファンも大歓迎ではないだろうか。
(飯山太郎)