2021年に84歳で亡くなった落語家の笑福亭仁鶴さん(本名・岡本武士)の三回忌追善公演が、命日である8月17日の夜に大阪市のなんばグランド花月で行われた。弟子の笑福亭仁昇、仁扇の2人が思い出を語って落語を披露し、続いて浪曲師の春野恵子が自作の「笑福亭仁鶴一代記」を口演した。
東大出身の春野は出版社勤務を経て女優となる。00年に日本テレビ系の「進ぬ!電波少年」で東大を目指す受験生の家庭教師役の「ケイコ先生」で人気を博したが、自身の世界を広げたく浪曲界に飛び込み、03年に上方の大御所、二代目春野百合子に弟子入りし修業を積んだ。
苦節20年、押しも押されもせぬ浪曲師となり、『番町皿屋敷』『両国夫婦花火』などの古典は、今や十八番(おはこ)だ。豊かな声量や広い音域、巧みに声色を変える話術、そして表情豊かな大きな瞳。英語浪曲での海外公演や「女子会」まで題材にした自作浪曲など、独自の世界を切り拓(ひら)いている。
追善公演で曲師(三味線)の一風亭初月(はづき)と登壇した春野は、「生の浪曲は初めての人は?」と観客に挙手を求めた。大多数と確認すると「『待ってました』『たっぷり』と声をかけてくださいね」と楽しみ方を伝授した後、自ら創作した力作を披露した。
仁鶴さんが大阪市生野区で産声を上げた場面を「大発見やあ」とやった。コロンブスを主人公にした、仁鶴さんの1970年のヒット曲「大発見やァ!」で、仁鶴さんが叫ぶセリフだ。冒頭から巧(うま)い。8歳で母と死別、高校も病気で中退したが初代桂春団治の落語に感動して落語家を目指し、笑福亭松鶴に弟子入りするも売れない。そのうち吉本新喜劇入りを勧められた。「当時は吉本興業さんより松竹芸能さんの方がずっと力があったんです」と声を潜める。売れっ子になった後を「3分間待つのだぞ」が流行したカレーのヒットCMをもじり、「忙しすぎて映画出演で森繁久彌さんや勝新太郎さんらを待たせたのは3分どころではありません」と笑いを誘った。
司会役で弟子の笑福亭仁智(上方落語協会会長)も春野の登壇の直前に「春野恵子さんの『笑福亭仁鶴一代記』です」とひときわ、力を込めて紹介していた。三回忌にあたり落語界以外の出演者として講談師か浪曲師を考えたが、生前の仁鶴さんが浪曲好きで、春野を抜擢(ばってき)したとか。
春野は落語好きで学生時代もよく鑑賞したが、この日はさすがに緊張の面持ち。「口の悪い友達には、よう引き受けたわねと言われました」と打ち明けたが、「唯一無二の大名跡、笑福亭仁鶴は永遠にー」と締めると大喝采だった。
舞台は桂文枝、月亭八方、桂小文枝、桂南光らが仁鶴さんについて愉快な思い出を語るトークも行った。最後に筆者も懐かしい仁鶴さんの自作のヒット曲「おばちゃんのブルース」を会場全員で歌った。何よりの供養になったに違いない。
(粟野仁雄)