「えっ、30万円も払わされるんですか?」。こう仰天しているのはレスリング選手たちだ。2024年パリ五輪の開幕まで1年を切ったが、日本レスリング協会の苦しい台所事情が浮き彫りになってきている。
東京都杉並区の「ゴールドキッズ」でレスリング指導する成國晶子さんが語る。成國さんは女子65㌔級で1990年から世界選手権を連覇した実績もある。その元世界女王が「7月初め、17歳以下の世界選手権(7〜8月にトルコで開催)の遠征費60万円の半額の30万円を『振り込んでください』という通知が、協会から来て保護者たちが驚いたんです」。約2週間の支払期限を決めて入金を指示してきただけだった。
昨年は協会が持ってくれ負担ゼロだった。「5万円や10万円の負担はありました。しかし、30万円とは......。レスリングの有力大学や有力企業に所属する選手は遠征費を出してもらえても、そうでない選手の親は深刻」と成國さん。これまで海外遠征は、五輪候補選手が免除、他は3分の1の自己負担が原則だった。
協会は2022年度に約9000万円の赤字を計上しており、これが自己負担増の大きな要因のようだ。21年に開かれた東京五輪後、国からの補助金など約3億円が今年度は半減した。スポンサーも減り、レスリング中継に熱心だったテレビ局も、6月の明治杯全日本選抜選手権も中継せず、大きな放映権料も失った。そこにロシアによるウクライナ侵攻で航空運賃などがはね上がり、遠征費自体が大幅にアップした。
協会は五輪や世界選手権、全日本選手権から子どもの大会まで、詳細にホームページで公表してきた。しかし、協会から制作委託されている業者は委託料も大幅カットされている。
東日本のレスリングの強豪大学の指導者は「出場選手のスパーリングパートナーも『30万円払え』と言われて驚いている。JOC(日本オリンピック委員会)は東京五輪さえ乗り切ればよく、終わればさっさと補助金を半額にし、大変なことになった」と驚く。さらに、協会の運営の現状についても、こう心配する。
「協会も(五輪3連覇の)吉田沙保里さんのような人気者を先頭に立て、競技の魅力をアピール活動するなど考えないといけない。企業人だった福田(富昭・前会長)さんはスポンサー集めがうまく、アイデアマンだった。それが(五輪金メダリストである)富山英明会長にできるだろうか」
日本のレスリング界は、「メダルを量産するので五輪の時だけ注目される」とも揶揄(やゆ)されてきた。だが、レスリングそのものは、1896年の近代五輪開始以来、2回目の1900年パリを除き、2013年に除外も検討されたが、現在までずっと実施されてきた伝統競技である。そして、日本にとっても、近年は女子の活躍が目立つが、男子は全競技を通じ、日本勢で唯一、戦後出場した全ての五輪でメダルを取り続けてきた競技・種目でもある。
そんな伝統も実績もある競技が、世代は異なるにしても、代表クラスの選手に海外遠征費の自己負担増を強いなければならない。それはレスリングに限らず、五輪に選手を送り出している多くの競技団体の「東京後の懐事情」の現実なのかもしれない。
(粟野仁雄)