ヒットマンのような鋭い眼光はもう見られない。
2016年リオデジャネイロ、21年の東京の両五輪で柔道男子73㌔級を連覇した大野将平(31)が3月7日、所属する旭化成本社(東京都千代田区)で記者会見し、自らの今後を語った。
日本オリンピック委員会(JOC)の研修制度を利用し、22年度が明けてから英国で2年間、英語やコーチ学を学びながらヨーロッパの柔道に接する。五輪や世界選手権などの国際試合には出場しないとし、期待されていた24年パリ五輪での3連覇は消えた。
東京五輪後は昨年4月の階級無差別で行われる全日本選手権に登場したが、ほかの公式戦に出ていない。ただ、会見では「柔道家に引退はない。一生修行。『引退』とか『第一線を退く』という、小さな枠組みで捉えていただきたくない」と自らの今後を強調。五輪の柔道を2連覇した日本人は過去、男子は大野を含めて4人(野村忠宏は60㌔級を3連覇)、女子は3人しかいない。この点については「2連覇とか、3連覇とかの数字で判断してほしくはない」と語った。
山口県出身。中学から上京し、1992年バルセロナ五輪男子71㌔級金メダルの古賀稔彦さん(故人)ら名選手を生んだ柔道私塾「講道学舎」に入った。世田谷学園2年で全国高校総体の男子73㌔級で優勝し、天理大から旭化成と進む。ずば抜けたパワーからの豪快な大外刈りと内股を武器に最後まで一本を目指した。勝利してもガッツポーズをせず、淡々と畳を降りる姿も評価された。
大野の試合で最も感動的だったのは、2018年のグランドスラム大阪大会だろう。2歳上で中学、高校と同じだった海老沼匡との一戦。12年ロンドン、16年リオの両五輪の男子66㌔級で2大会連続で銅メダルに輝いた海老沼は階級を上げていた。2人の白熱した攻防は、隅落としが決め手となって大野が優勢勝ちした。それを問うと「13年に世界一になり、これを超える感覚が持てなかったが、海老沼先輩との戦いから、東京五輪は『勝って当たり前』と思えるようになった」と、海老沼の存在の大きさを明かした。
英国留学を選んだ理由については「日本では金メダリストの一人にすぎないが、柔道熱の高い欧州には自分のファンが多くいる。日本のように恵まれた環境ではなく、命を懸けて闘っているし、日本人以上に武道精神を持つ選手もいる」と語った大野。「遊びが起源のスポーツと、命を懸けた戦いが起源の武道である柔道は違う」とも。自らを「ラストサムライ」と称していたが、スポーツ化した日本の柔道を外から変えたい思いものぞかせた。
試合中の目付きは恐ろしいまでの迫力だった。「相手を萎縮させようと意識していた狙いは?」と聞くと、「『ウルフ松本』さん(ロンドン五輪女子57㌔級金メダルの松本薫)みたいなことはしません」。それでも最後の挨拶(あいさつ)で「顔が怖いと言われたのでこれからはもう少し優しい顔も見せたい」とほほ笑んだ。
(粟野仁雄)