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2024年2月 4日号
社会 100周年の将棋連盟と甲子園がコラボで「藤井―羽生」が実現
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 阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で将棋、と聞くと驚くだろう。それが12月8日、藤井聡太8冠(21)と日本将棋連盟会長の羽生善治九段(53)=永世7冠資格=の公開対局で実現する。将棋連盟と甲子園球場(向井格郎球場長)のコラボ企画で、「共通項」は今年、将棋連盟創立と甲子園球場開場から、ともに100周年を迎えることだ。

 羽生会長は1月13日、初めて訪れたという甲子園球場で記者会見し、「阪神タイガースのホームグラウンドであり、高校野球、アメリカンフットボールの甲子園ボウルなどが開催され、親しみを感じている。甲子園球場さんが将棋連盟と『同い年』ということに、ご縁も感じた」などと述べた。一方、向井球場長は「素晴らしいカードが実現できた。甲子園の数々の名勝負に藤井さんと羽生さんの名勝負の1ページが加わる」などと喜んだ。

 実は、甲子園での将棋の対局は初めてではなく、76年ぶりの企画である。甲子園球場によると、戦後間もない1948年10月に当時は八段だった大山康晴十五世名人(23〜92年)が、関西出身で肺結核のため38歳で亡くなった松田辰雄八段(16〜55年)と早指し対局をしている。

 当時は大型スクリーンもない時代。対局は、両者がバックネット裏に組まれたやぐらの上で指し、それに合わせて駒に見立てられた人が、グラウンドに白線で描かれた〝超大型将棋盤〟の上を動いた。さながら「人間将棋」で、それをファンがスタンドから見守ったという。

 大山十五世は48年に当時の塚田正夫名人に挑戦して敗れたが、52年には悲願の名人となる。対する松田八段は49年に木村義雄十四世名人に敗れたものの、名人挑戦者決定戦の決勝まで進んだ。一方、翌50年からは病気のため休養を強いられて早世した悲運の棋士。ただ、当時は台頭著しい両者の顔合わせに加え、大山十五世は岡山、松田八段は関西出身とあってか、甲子園球場では約3万5000人が見つめた。対局そのものは非公式戦として指され、松田八段が勝ったという。

 今回、羽生会長と藤井8冠は貴賓室で対局する。球場を訪れた人が、それをどのような形で見られるのかについては未定だ。オリックスとの「関西対決」となった昨年のプロ野球・日本シリーズでは、京セラドーム大阪の試合を甲子園の大型スクリーンで虎ファンが見た。ただ、将棋となれば、ファンが両棋士を直接見ることもできず、「あとは大型スクリーンで」では芸がない気がする。会見では観戦方法を明かさなかったが、そこは広島東洋カープの帽子をかぶり、小学生時代に将棋を指す写真が有名な羽生会長の手腕の見せどころともいえるだろう。

 一方、阪神の岡田彰布監督(66)は将棋連盟認定のアマチュア三段の力を持つ将棋の強豪としても知られる。「当日、立会人になってもらえば」という声も聞こえる。とはいえ、岡田監督の至上命題は将棋よりも今季、タイガースを「アレンパ」させること。甲子園100周年の節目に、球団初の連覇も引っ提げ、晴れて立会人となれるか。

(粟野仁雄)

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