サンデー毎日

政治・社会
News Navi
2023年6月25日号
社会 国宝の興福寺五重塔が大修理 古都のシンボルが120年ぶりに
loading...

 古都・奈良のシンボルの一つである興福寺(奈良市)の国宝・五重塔が、7月から約120年ぶりの大修理に突入する。

 五重塔は奈良時代の政治家、藤原不比等の娘だった光明皇后の発願で730年に建立された。落雷による火災や戦乱で5回の焼失と再建を繰り返し、現在の塔が完成したのは室町時代の1426年ごろ。明治維新後は「廃仏毀釈(きしゃく)」で存続の危機にも陥った。が、1897(明治30)年に「古社寺保存法」に基づく、「文化財第1号」の一つにも選ばれる。1900〜02年にかけて行われた、最上部の5層目をはじめとする上層階の屋根の修復以来の大規模な修理となる。

 120年以上の星霜で木部の破損やしっくい壁の剥離なども目立ち、屋根の全面ふき替え、木部の修理、壁の塗り直しなどをすることになった。修理の総事業費は約57億円となるが、国や自治体の補助をあおぐ。

 大修理は1月に始まるはずだった。しかし、資材高騰による入札不調で工期が遅れていた。修理は2031年3月までかかる予定だが、森谷英俊(もりやえいしゅん)貫首は「修理期間中も工事状況が見学できる一般公開も検討したい。五重塔は興福寺だけのものではなく、広く国民の文化財です。未来に継承するバトンランナーの一人として修理を進めて100年は残るものにしたい」としている。

 今回の五重塔の大修理は平城遷都1300年記念事業の一環で、18年に落慶した中金堂の復元とは無関係で、半ば国の事業となる。文化庁は国宝級の建築物の修理を順次進めている。同じ奈良市内にある薬師寺の国宝・東塔の修理が20年に完了し、コロナ禍のため遅れていた落慶法要も今年4月に行われた。そんな薬師寺が一段落したことを受け、興福寺に順番が回ってきたという。

「檀家」が存在せず、浄財などで運営する興福寺は中金堂も主に浄財で賄った。中金堂の復元では宮大工の提案で海外の木材も使われた。五重塔も創建当初は良質なヒノキを使っていたが、室町時代の再建では、良質のヒノキが確保できず、他の木材を使った可能性もあるといわれている。それだけに、今回も国産材だけで修理できるかは微妙な状況だ。

 一方、修理が報じられ、興福寺には「もう見られなくなるのか」との問い合わせが相次いでいる。だが、同寺の広報担当者は「7月からすぐに五重塔が全部見えなくなるわけではありません。1年近くかけて徐々に覆われます。ただ、修理前の姿を見ておきたい方は早めにお越しください」。鉄骨造りの素屋根の設置だけで1年もかかるのだ。

 織田信長以降の武家政権により勢力を削(そ)がれるまで、鎌倉時代や室町時代には興福寺は春日大社と並んで絶大な権勢を誇った。

「奈良県庁や裁判所など、現在の奈良市の中心的な場所も興福寺の敷地だったんですよ」(広報担当)

 国宝の五重塔は全国に九つあるが、興福寺は高さ約50㍍で、その高さは東寺(京都市)に次ぐ。栄枯盛衰を見下ろしてきた塔が新しい姿を見せる8年後、日本社会はどうなっているだろうか。

(粟野仁雄)

うさぎとマツコの人生相談
週刊エコノミストOnline
Newsがわかる
政治・社会
くらし・健康
国際
スポーツ・芸能
対談
コラム