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2023年2月12日号
金融 野村元社長の「損失補塡」回顧 のぞいた証券業界の「苦しさ」
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 野村証券元社長の古賀信行氏(現野村ホールディングス名誉顧問)が現在、『日本経済新聞』に掲載している「私の履歴書」が金融界で話題だ。特に1月18〜19日付で、4大証券の損失補塡(ほてん)のてんまつが書かれており、「当時の社長だった田淵義久氏の株主総会での異例発言と、その後の大蔵省とのやり取りが面白い」(メガバンク幹部)という。

 バブル期、野村証券はじめ証券各社は企業に一任運用の「営業特金」で、株式などを爆買いさせていた。それがバブル崩壊に伴う株価急落で大きな損失を負った。その解消を求めた大蔵省証券局と野村証券の当時の経営陣との舞台裏だ。大タブ、小タブと呼ばれた田淵節也会長と田淵義久社長、大蔵省(現財務省)は角谷正彦証券局長、業務課長として陣頭指揮した水谷英明氏。そして、MOF担(大蔵省担当)として大蔵省との交渉に当たった古賀氏のてんまつだ。

 発端は1989年暮れに角谷局長名で出された大蔵省の通達だった。営業特金の解消を求めた内容で、古賀氏は〈相手のある話だから、明日からすぐというわけにはいかない。(中略)物事の処理には手間をかけなければならない。角谷局長や、業務課の水谷英明課長は分かっていたと思う〉と記している。

 しかし、その当事者である水谷氏は90年7月に出張先の名古屋市で交通事故に遭い、急死してしまった。今なお語られる証券行政の痛恨事だ。事故前に古賀氏が水谷氏と会い、留任の話をしていたことは驚きだ。さらにうならせるのは、義久氏が株主総会で損失補塡について「大蔵省にもお届けしており、その処理についてもご承認をちょうだいしている」と発言したとされることに対する大蔵省とのやり取りだ。

 この発言は事実上、損失補塡については大蔵省の了解のもとで行われたとするものと受け止められ、永田町も霞が関も騒然となったことを筆者も覚えている。「履歴書」では〈私は大蔵省に赴き、総会の録音を証券局の役人と何度も聞き直した。義久さんの低く響く声は、録音ではなおさらくぐもって聞こえた。問題の部分は特に分かりにくかった。「ご承認」は「ご処分」とも聞こえた。処分ならば発言の意味は違ってくる。「どちらですかね」「もう一度、聞いてみましょう」......。そんなやりとりを延々と続けた。その場のだれも、明確な答えを出せなかった〉と記されている。

 しかし、当時の関係者によると、MOF担の古賀氏は株主総会前、事前に損失補塡の言及について大蔵省にお伺いを立てていたらしい。にもかかわらず、大蔵省も野村証券も慌てたのは橋本龍太郎蔵相(当時)の逆鱗(げきりん)に触れたためだ。橋本氏は「(義久氏の発言は)断じて許せない。取り消せ」と迫ったとされる。当時の関係者は「大蔵省の事務方は営業特金解消のためには損失補塡もやむを得ない『必要悪』と考えていた。『暗黙の承認』を与えていたわけだが、橋本蔵相が立腹したため立場がなくなった」と明かし、それが真相のようだ。

 古賀氏は「履歴書」ではそのことに触れず、ただ〈その場のだれも、明確な答えを出せなかった〉と記すにとどめている。正に野村と大蔵省の事務方の苦しい胸中が察せられる一文だ。

(森岡英樹)

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