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2022年11月13日号
社会 三条大橋が半世紀ぶりの改修 費用は「ふるさと納税」でめど
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 京都市の鴨川に東西にかかる三条大橋(東山区)で、老朽化した木製の欄干を交換する工事が約50年ぶりに始まっている。南北両側の新しい欄干は来年秋ごろには完成する。市では「直接的な危険があるわけではないが、長年の排ガスや風雨などで相当傷んでいて、住民や観光客からも修理してほしいという声が強まっていました」(橋りょう健全推進課)と説明している。

 費用は約4億円かかるが、「財政難の中、ふるさと納税でかなり助かっています」(同課)とのこと。市がふるさと納税に「三条大橋の補修」を加えて寄付を呼びかけたところ、9月末時点で約3億5000万円が集まった。寄付は今年度末まで募る予定で、返礼品の費用を差し引いても相当の寄付額になりそうだ。さすがは老若男女問わず人気がある京都である。

 歩道と車道を仕切る防護柵はいったん撤収し、麻の葉文様のアルミ製のパネルを据えて戻す。歩道は市松模様のブロックで舗装するなどしておしゃれにする。修理は上面から始め、いずれは橋の下面、裏側も修繕する予定だ。

 江戸時代から東海道五十三次の「終点」(西側からは起点)とされた三条大橋は、西側に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)作の『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次さんと喜多さんの銅像がある。橋の起源は室町時代だが、本格的な架橋は豊臣秀吉が1590(天正18)年に五奉行の一人、増田長盛に大改築させ、石の柱を据えた時だった。

 その三条大橋を「絵になる日本的風景」にしているのは、欄干にかぶせた青銅の「擬宝珠(ぎぼし)」や装飾金具だろう。これらは天正の建造時からの物も一部残っており、今回も取り換えずに修理して使い続ける。

 橋は何度も洪水で流され、1935(昭和10)年の大水害でも一部流出して造り直された。欄干部分は74年に交換して以来の大改修で、当時は台湾製の輸入ヒノキ材が使われた。しかし、今回の改修では市内の鞍馬(くらま)や旧京北町(現在は右京区の一部)で育ったヒノキを使用する。

 橋のたもとの三条河原は歴史的には血塗られた「公開処刑場」でもあった。大盗賊として知られる石川五右衛門は秀吉の命で、ここで釜ゆでにされた。秀吉に実子秀頼が誕生すると、謀反の疑いで切腹させられた秀吉のおいで関白だった豊臣秀次は、三条河原に首がさらされ、妻子らはここで処刑された。関ケ原の合戦で敗れた西軍の大将の石田三成や、戊辰(ぼしん)戦争で捕らえられて処刑された新選組局長の近藤勇も、ここでさらし首にされた。一方、三条大橋には幕末の1864年に新選組が三条の旅館・池田家に宿泊していた尊王攘夷(じょうい)派の志士を襲撃した「池田家騒動」での刀傷が残っている擬宝珠もある。

 新型コロナウイルスの猛威が少し落ち着き、円安で海外からの客も徐々に戻ってきた京都市。血生臭い歴史も目撃してきた三条大橋は、新たな欄干に古都のどんな歴史を刻んでゆくのだろうか。

(粟野仁雄)

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