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2022年11月 6日号
社会 「悪魔の医師」から「赤ひげ」へ 病気腎移植の万波誠医師逝く
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 一人の医師への評価がこれほど豹変(ひょうへん)した例も稀(まれ)だろう。

 16年前、「病気腎(修復腎)移植」で物議を醸した万波誠(まんなみまこと)医師が10月14日、心筋梗塞(こうそく)で故郷の岡山県備前市の病院で亡くなった。享年81。この3月まで長年、愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院に勤務し、4月から岡山県笠岡市の病院に勤務したが、ほどなく退職していた。

 万波氏は山口大医学部を卒業し、1970年に市立宇和島病院に勤務。その後、米ウィスコンシン大で腎臓移植の研鑽(けんさん)を積む。帰国後の77年には同病院で最初の腎臓移植を成功させた。数多くの移植をてがけ、2004年に宇和島徳洲会病院へ移った。

 06年10月には同病院が舞台となる臓器売買事件が発覚。やがて万波氏を中心とした「瀬戸内グループ」と呼ばれる医師仲間が、がんや肝炎などの患者から摘出して病巣部を切除した腎臓を、糖尿病など別の患者に移植した「病気腎移植」を計42件実施したことが明らかになる。

 捨てられていた臓器の有効活用はレシピエントにとっては経済的、精神的にも負担が軽く画期的だった。だが、日本移植学会は「手術の妥当性がない」「レシピエントがドナーの肝炎に感染した可能性がある」「インフォームド・コンセントが不適切」などと批判。07年に厚生労働省は病気腎移植を公的医療の対象外とし、手術を原則禁止した。

 万波氏は事件に関わっていなかった。だが、マスコミは万波氏を「移植マニア」などと怪しげな医者のように報じた。一方、手術を受けた人を中心に支持者も多かった。彼らは約6万の署名を厚労省に提出。国会には「修復腎移植を考える超党派の会」も結成された。「レシピエントにがんが再発する可能性はまずない」などを確認した厚労省は17年、病気腎移植を「先進医療」として認めたのだ。

 万波氏は自らを批判した日本移植学会の幹部4人を、名誉を傷つけられたとして訴えもした。訴訟は敗れたが、18年7月にはNHKが「悪魔の医師か赤ひげか」とのタイトルで、万波氏の取り組みを肯定的評価する内容のETV特集が放送される。番組では万波氏が取り入れていた手法が、欧米では一般的な治療であることも紹介された。

「えひめ移植者の会」の野村正良会長(73)は、「私は00年に万波先生に移植していただいた修復腎が今も問題なしです。先生がいなければとっくに死んでいた」と感謝する。他方で「修復腎移植が禁止され、全摘手術も激減し、助かったはずの多くの患者が亡くなりました。黙り込んでいる学会の人たちの責任は大きい」と憤る。

 騒動当時、記者会見した万波氏は米国留学した医師には見えない、田舎臭いぶっきらぼうな語り口だった。ただ、野村氏は「粗野な人物と誤解されたかもしれませんが、職人肌でした。いつも白衣にスリッパ姿で格好も構わない。出世に全く興味がなく院長などになるような話は全て断り、患者のことだけを考え土日も病院に出ていた。手術ができなかった間、自分を頼った患者を助けられないことが一番辛(つら)かったのでは......」とおもんぱかる。

 昭和、平成、令和と患者のためにメスを握り続けた「赤ひげ」に合掌。

(粟野仁雄)

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