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2022年6月19日号
社会 日本赤軍の重信房子元最高幹部が出所後に口にした「反省」と「謝罪」
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 過激派組織「日本赤軍」(解散)の重信房子元最高幹部(76)は5月28日朝、懲役20年の刑期を終えて東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)を出所した。右翼街宣車の怒号で騒然とする中で姿を見せ、近くの公園に移動して記者団にこう述べた。

「人質を取るとか、戦いの中で見ず知らずの人たちに被害を与えたことをお詫(わ)びします。今後は治療に専念し、反省するとともに好奇心を持って生きていきたいです」

 左翼活動家らしく、「(世の中は)昔より一つの方向に流れている」「一つの情報、警察情報をうのみにしないで」といった言葉もあったが、語り口は穏やかだった。

 55歳だった2000年秋、大阪府で逮捕。東京に移送中、手錠をかけられたまま親指を立て「頑張るからね」と声を上げた。その時の印象と出所直後の様子は違った。筆者が「刑務所で世相の情報は十分入りましたか」と尋ねると「友だちがいたせいで十分に入っています」と答えた。

 日本赤軍は前身グループを含め、イスラエルの空港で乱射(1972年)、日本航空機のハイジャック(77年)など、数々の事件を起こした。検察が重信氏を起訴したのは、オランダ・ハーグでフランス大使館に乱入し、警官を負傷させた74年の事件に関する罪だ。

 出所の日、重信氏が口にした「反省」「お詫び」はどの事件を指すのかは不明だ。

 都内で開かれた支援者による「祝賀会」をのぞくと、〝ヒロイン〟はビールで乾杯し、涙顔の仲間と抱き合ったりしながら参加者と笑顔で語り合っていた。

 獄中でがんの手術を4度も受けた重信氏は当面、治療に専念するとした一方、「学習します」とも語った。日本赤軍には国際手配中のメンバーが7人いる。公安当局は重信氏が連絡を取り合わないかと疑い、追い回し続けるだろう。

(粟野仁雄)

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