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2021年3月21日号
原発事故10年目の真実/上 地域社会破壊の大罪 「原子力ムラ」の懲りない逆襲
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倉重篤郎のニュース最前線

 ◇元・経産官僚の古賀茂明、フォトジャーナリストの豊田直巳が徹底検証

 日本と世界を震撼させた福島原発事故から10年。政府は復興を呼号してきたが、反省なき原発ムラは再稼働を目論み、被災地には困難が継続している。ニュース最前線が上下2回にわたってお届けする、原発事故の徹底検証。今回は元経産官僚で脱原発を模索してきた古賀茂明氏と、被災地の現実を報じ続けてきたフォトジャーナリストの豊田直巳氏に聞く。

 ◇再生エネルギーに致命的遅れ

 福島原発事故から10年。我々は何を変え何を変えることができなかったのか。

 事故前動いていた54基の原発は、今や24基が廃炉となり、再稼働が認められたのは27基の申請のうち9基のみだ。一方で、再生可能エネルギーの進展は、その指標となる最安電源の価格比では、日本74㌦と、英42㌦、米36㌦、中国33㌦(いずれも1000㌔㍗時=『日経新聞』3月1日付)と周回遅れとなってしまった。

 我々は何を失い、さらにどこまで失うのだろうか。

 除染、補償、廃炉などこれまでかかった費用は11・2兆円(3月2日参院予算委での小早川智明東電社長答弁)、将来的には、80兆円を上回るとの試算(日本経済研究センター)もある。

 負担はカネだけではない。あの事故で避難した住民16万人のうち4万人がいまだに自宅に帰れない状態が続いている。いわゆる「震災関連死」と認定された人の数は、2316人(1月8日現在)にのぼり、NHKの調査によると、避難回数は平均で3・9回、4人に1人が県外死だった。

 2回にわたり報告する10年目の真実。初回は、我々が変えられなかったもの、失ったものについて語る。

 変えられなかったもの。それは、原子力ムラのなお残る影響力だ。世界が脱原発・再生エネに動く中で、なぜ事故元の日本がその脱皮に大きく遅れたのか、との疑問への回答でもある。

 失ったもの。それは故郷であり労働の場であり人々が生きていくのに必要な地域コミュニティーである。

 つまり、ムラが残り、村が滅びた。

 ムラについては、元経産官僚の古賀茂明氏に聞く。原子力ムラを熟知、霞が関ウオッチャーとしてもその中枢の腐敗を歯に衣着せずに批判してきた人である。

 ムラはどう残った?

「事故直後の2011年3月末、東電の株価が下落、3メガバンクが経産省の要請で、低金利、無担保無保証で2兆円の緊急融資をした時、ムラの存続がはっきりした。僕は、まだ経産省にいて、この2兆円は特別背任だと直感、発送電分離も含めた東電破たん処理案を作り、建言したが、受け入れられなかった」

「事故直後、計画停電で経産省内でも電気を落として廊下が真っ暗という時があった。暗いエレベーターホールで担当課長とすれ違った。彼に東電は早く破綻処理しろと、今しかチャンスはないと言ったら、そいつは血相変えて僕をもっと暗い廊下に連れて行って、東電破綻なんて言わないでください、日本は崩壊しますよと言ったのを覚えている」

「東電と経産省との間に闇取引があった。原子力損害賠償法上の事故責任者を誰にするか。東電は同法の免責規定を使って自分たちの責任を逃れようとしたが、そうなるとこんなに危ないものを作った経産省の責任が問われる。経産幹部が東電首脳に免責規定活用を思いとどまるよう懇願、最終的に東電も応じた。つまり、経産省は自らの責任問題をうやむやにすることに成功し、東電は世論の批判を一身に背負うものの、『絶対につぶさない、最後まで守る』との約束を得たことになる」

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