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2021年3月 7日号
震災10年 復興への無策を問う 第1弾・作家3人の渾身寄稿
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既得権益を握った老いた男どもへ=池澤夏樹

 ギリシャやフランスに暮らしてきた作家はあの日、日本にいた。それから始まった被災地通い。「絆」を求める一方で広がった分断と格差は、新型コロナウイルスという未知の災厄を前に、なおも牙をむいているのか。池澤夏樹氏の憤怒がペンを突き動かす。

 十年が過ぎた。

 災害は外から来る。

 地震・津波にせよ台風にせよ人格はないのだから「襲ってきた」とは言わないことにしよう。自然とはそういうものなのだ。少なくとも日本の国土では。

 あの三月十一日、東日本の人々はまず身体的な恐怖に戦(おのの)いた。地震というのは(直下型でないかぎり)微動から始まってだんだん大きくなり、緊張して待っているとやがて終息する、運がよければ。

 しかし、海に近いところでは津波の心配がある。三陸海岸ではそれでたくさんの人が亡くなった。あの戦慄(せんりつ)の映像をぼくたちは見た。

「津波というから波が来るのかと思ったら海がそのまま来た」と言った人がいた。

 社会はさまざまな打撃を受ける。災害も恐慌も戦争も疫病も、まず弱者の生活の基盤を奪う。それをどこまで補償できるかでその社会その国家の実力がわかる。国民の安心感、ひいては幸福の度が知れる。

 あの日の後、ずいぶん多くの人たちが被災地の支援に力を注いだ。現地に向かった人もいたし、そこまでしなくとも不足する物資や機材が全国から送られた。自分たちは利他的な努力を惜しまない。そういう機運が高まり、それはまた個人ごとの誇りに繫(つな)がった。

 いわゆる災害ユートピアの感覚である。結束して困難に立ち向かえるという連帯感。

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