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2020年11月22日号
日本の秘境・新大久保徹底ルポ
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東京・新大久保といえばコリアンタウン。そんなイメージが定着して20年ほどたつ。新大久保に住み、9月に新著『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)を刊行したばかりの室橋裕和氏が、あまり注目されていない多民族化する街の現状をルポした。

◇単なるコリアンタウンではない

◇ベトナム、ネパールのコミュニティー

東京都内の新型コロナウイルスの感染者がやや減少した9月下旬の4連休。新宿駅からひと駅北の新大久保駅付近は大勢の若い女性でにぎわった。彼女たちの目当ては韓国の料理やコスメ、アイドルグッズを売る店だ。「韓流」の勢いを象徴する街だが、新大久保は世間で言われているような「コリアンタウン」とはやや異なる。

「元々ここに住んでいる在日韓国人はそれほど多くなかったんですよ」

そう語るのは、創業41年になる韓国家庭料理の店「ハレルヤ」の総料理長、金東柱(キム・ドンジュ)さん(62)だ。新大久保でもとりわけの老舗だが、開店当時、周りにはほかに韓国の店はほとんどなかったという。ホルモンなどを出す焼き肉店がちらほらあった程度で、韓国食材店もわずか。そのため、「何か必要な物がある時は上野や川崎に行っていたものです」と金さんは言う。

だから「ハレルヤ」では、焼き肉とうまく差別化できればと家庭の味を提供し始めた。看板メニューは当時から変わらない味わいのプルコギだ。下味をつけた牛肉と野菜を焼いた韓国の料理である。お客は近隣に住むそう多くはない在日1世の人々や、目と鼻の先の歌舞伎町で働く韓国人たち。彼らのための国際電話店や美容室、教会などがあるくらいの小さな韓国コミュニティーだった。激変したのは、21世紀に入ってからのことだ。

日韓共催となった2002年のサッカー・ワールドカップ、03年に放映が始まるや大ブームとなったテレビドラマ「冬のソナタ」。これらがきっかけとなり、街を訪れる日本人が急増したのだ。

ビジネスチャンスと見た留学生上がりの韓国人たちが次々と店を開くようになる。飲食店だけでなく、貿易や旅行関連、不動産など韓国から乗り込んでくる企業も増えてくる。後押しするように「東方神起」に代表されるK―POPのブームも起き、新大久保は短期間のうちに観光地「コリアンタウン」と化した。在日韓国人が多く生活する街として発展してきた、大阪の鶴橋あたりとはだいぶ違うのだ。

テーマパーク的コリアンタウンとしてにぎわうようになった新大久保に変化が出てきたのは、10年以降だ。ベトナム、ネパールなど、東南アジア、南アジアの人々が急増したのだ。東日本大震災によって韓国人や中国人の間で帰国する動きが全国的に起きた。そのため労働力不足を外国人で補おうという国策が本格化し、日本は東南アジア、南アジアの労働者や留学生に対し、入国の門戸を広げたのだ。

彼らは交通の便が良く、先住の韓国人によって外国人が住みやすい環境が整っていた新大久保に集まってくるようになる。レストラン、食材店、送金サービス会社などが次々とつくられ、だんだんと多民族集住タウンになっていった。

今やネパールブティックまであるのだ。「ライズ・パール&ファッションハウス・ジャパン」の店長、ロシャナ・シュレスタさん(42)は言う。

「誕生日や結婚式、お祭りの時に着飾るネパール風のドレスやアクセサリーを扱うような店はなかったので、3年ほど前に開いたんです」

元々日本で天然石の輸出入を手掛けていた夫を追って、03年に来日。新大久保に同胞が急増しているのを見て出店したところ、ネパール女性たちに大人気となった。

店内は色とりどりのサリーやガウン、ネックレスやバングル(腕輪)などが並び、きらびやかだ。ネパールで弟がやはりブティックを経営しており、そこから現地で流行している品を輸入しているという。この店で買った服をまとった、ネパール女性たちの華やかな一団を新大久保では時折見かける。街には広いネパールレストランがいくつかあり、パーティーが開かれることがよくあるのだ。今年はコロナ禍のためそうした集まりは少ないが、それでも女性のファッションに特化した店ができるほどに、新大久保のネパールコミュニティーは成熟している。その文化を楽しみたいと、日本人もやってくる。

「サリーを着たいという日本人の女性もよく来ます。インド映画『バーフバリ 伝説誕生』が公開された時は、映画館でコスプレするために買いに来る日本人が多かったです(笑)」

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