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2020年10月25日号
日本学術会議への人事介入は「レッドパージ」の再来である=特別寄稿・保阪正康
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異端狩りを始めた菅政権

日本学術会議の新会員任命拒否によって、菅政権は強権的な本性を現した。各界から抗議の声が上がり、この問題を「滝川事件」などになぞらえる議論も出始めたが、現代史研究の第一人者は、「いま私たちが最も学ぶべき歴史の教訓は1950年に猖獗(しょうけつ)を極めた『レッドパージ』ではないか」と喝破する。異端狩りがファシズムに至った時代から、現代の危機を見据える必読の論考――。

菅義偉首相の初仕事が、日本学術会議の新会員6人の任命拒否であることは、極めて重い意味を持つ。もともとこの首相は就任記者会見で、この内閣が何を行うのか、自らの政治観や歴史観などを語らなかった。つまり総論はいまだ明確にしているわけではない。代わっての各論としての具体的施策で、この任命拒否が示されたことになる。各論から総論を想像してくれ、あるいは各論を積み重ねることで、そこにひとつの像が出来上がっていくと暗に意思表示しているのかもしれない。

安倍首相の路線を引き継ぐということは、実は総論でも各論でもない。これが首相としての所信表明というのであれば、安倍前首相は退陣したわけではなく、菅内閣の「シャドー・プライムミニスター」だということになる。こういう構図が浮かぶ内閣は、これまでの歴代の内閣では初めてではないだろうか。中曽根康弘総理が誕生した時に、「田中曽根内閣」と皮肉った新聞があったが、中曽根内閣は実際は明確な政見を持った内閣であることを就任時から示していたように思う。

今回のように学術会議の会員候補105人中、新会員6人が拒否されたのは初めてという。従来は学術会議側が提出する名簿に沿って、内閣総理大臣も自動的に承認していたというのである。いわば暗黙の了解だということであったのだろう。実際に1983年に参議院の文教委員会で、政府は、「学会から推薦された者は拒否しない」と答弁していた。これが学術会議側の自主性を保証する事実上の担保になっていた。ところが今回、内閣法制局は内閣府と2回(2018年11月と今年9月)にわたって調整を行い、学術会議の側から推薦された研究者を必ずしも任命する義務があるわけではない、との確認を行ったというのである。

6人の任命拒否はその方向に沿っているといえるようだ。つまりこの案件はシャドー・プライムミニスターの残していった方針だということになる。菅首相が、「法的に問題はない。6人をなぜ任命しなかったかについては説明する必要はない」と発言するのは、こういう流れの中でどういうやりとりがあったかを説明することはできないとの意味を含んでいたように思われる。この任命拒否問題は、『赤旗』の報道で始まり、10月に入ってからは新聞、テレビなどでも大きく報じられ続けている。新聞によってその報道内容と立場は微妙に異なっている。学術会議の会員任命に政府が口を挟むのは、学問の自由への侵害である、というのが一方の立場であるとすれば、もう一方では日本学術会議の権益保守の姿勢にはこの組織の宿年の疲弊があるとの立場で、菅首相の英断を讃(たた)える論調もある。

こうした世論の違いを含めて、この問題の本質は何なのか、そのことを改めて整理しておくべきだろう。すると意外に重要な視点が隠されているように、私には思える。

任命を拒否された6人のうち3人が、野党が国会内で開いたヒアリングでそれぞれ自説を述べている。

「私はどうして会員に任命されなかったのか、理由は全くわからない。内閣が思いつきでやることに『YES』と言う提言や法解釈しか聞かないとなってしまうことが、今後の日本にとって大変大きな禍根を残すのではないか」(岡田正則・早稲田大教授)

「この問題の被害者は日本の学術によって恩恵を受ける人々全体だ」(松宮孝明・立命館大教授)

個別のインタビューでは加藤陽子・東京大教授は、「なぜ拒否なのか、理由を知りたい」と答えているが、無論これは6人に共通の疑問であろう。

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